【入線整備】TOMIX旧型客車(高崎)ナックル化
今日の模型弄りです。
こちらは、ブログ冬眠期間中に着弾した、新発売の旧客セット。1980年代の東北本線が再現できるそうですが、私がやりたいのとちょっと時代が合わないので、手を加えることになりそうです。
今回の入線で、手持ちの旧客が20両を超えました。旧客はあまり出して走らせる機会がないので増えている実感がなく、いつのまにそんな両数になっていたとは……という感想です。
手持ちの旧客を全て留置線に並べてみました。時代のバラバラな車両達ですが、俯瞰して見ると、旧客全盛時代の主要駅の側線みたいな趣があります。
さて、今回弄るのはこっちの旧客セットの方。半年ほど前に購入した中古品です。品番は92989。
SL列車用にJR東日本が所有している、高崎車両センター所属の旧型客車のセットです。「現行仕様」と言いたいところですが、最近内装のリニューアルが行われたため「ちょっと前の仕様」になりました。
先月横川で撮影した旧客編成。某子供向け?アニメの影響で、SL列車は連日超満員とのことで、この旅行不況時代に素晴らしいことです。この日もオハニ以外の6両編成とそこそこの両数が繋がれていました。
さて模型の方は、中古品ということでパーツ類取り付け済み、カプラーはBMTN化済みとのことで、TN派の方は大喜びでしょう。私はといえば、常々申しているように客車類はKATO系カプラー(KATOカプラーまたはナックルカプラー)に統一していますので、フルTN化済みというのはちょっと不都合です。
ただ、幸いにもカプラーの首の切断を免れた台車枠が複数個付属されており、一部は現状復帰が可能でした。今回は(今回も?)カプラー弄りになります。
せっかくTNカプラーがついているのに酔狂ですが、互換性確保のためには仕方がありません。
装着済みのTNカプラーを取り外すには、ボディを外してしまうのが楽です。
台車をバラしたところ。外した車輪を含む金属パーツを、アーノルド付き(KATOカプラーに交換済み)台車に取り付けます。
できました。今回はジャンパ線表現のない方を選択しています。
ちなみにスハフ42のボディを外すとこうなっていました。車掌室のない前位側にもプリズムが取り付けられているので、ライトユニットを買い足すか移設するかすれば前位側も点灯させられそうです。
中間連結部はこのように台車マウント式で良いのですが、車端部はそうもいきません。「いつもの方法」が旧客にも使えるか、試してみましょう。
こちらはダミーカプラー。ジャンパ線やブレーキ管などが再現された、よくできたパーツです。このホース類をカットしてしまうのは勿体無いので、極力流用してみます。
というわけで、ホース類を残して中央のカプラー開口部を拡大させてみました。画像でわかるでしょうか、右が加工後です。ここにナックルカプラーを仕込みます。
やり方はいつも通り。付属のポケット内を少し削って首振り範囲を広げ、不要な爪を切り落としています。
これを、ダミーカプラーの台座にゴム系接着剤で取り付ければ完成です。
スハフ42の車掌室側に取り付けてみました。どうでしょうか。見た目は良好だと思いますが、カプラーの首振り角が微妙な感じです。
ここで当区の試運転線で走らせたところ、カーブで何かが引っかかって脱線します。
確認してみると、カプラーポケットが邪魔で車輪が引っかかってしまうようになっていました。
ギリギリまで削り込んで、台車のクリアランスを確保。
ついでにポケットの内部も可能な限り切断して、カプラーの首振り角を確保しました。
結果、脱線はしなくなりましたので量産に入ります。製品には、4両あるテールランプ装備車の数だけダミーカプラーが封入されていました。これらを全てボディマウントナックルに改造します。
そして、編成を組んだときにこれらの連結相手となる車両には前述のようにKATOカプラーが来るように調整……。それ以外の場所は、もともとついていたTNカプラーのままです。
出場試運転は、贅沢にもリカラーさんで。以前のバイト仲間のS君と「試運転会」の約束をしたので、間に合わせるべく突貫で用意したものでした。連結作業時にはカプラーの引っ掛かりが甘く心許ない印象がありましたが、いざ走らせると自然解放もなく安定した走りでした。
ちなみに、EF64側も突貫工事で片側だけ双頭ナックルに交換してあります。こちらも改めて記事にします。
他に……
先日発売のN2000系も加わり13両の布陣となった2000系(未整備)や
夏前に入線整備したままだったK60編成も本線初走行。
束の間のひと時を過ごさせていただきました。
リカラーさんは夜遅くまで営業されているので、仕事の後に少しだけといった使い方ができてありがたいです。今後もお世話になっていきます。
ひとまず、今日はこれにて。
【受託整備】マイクロエース 秩父デキの動力不調を解決したい
皆さまご無沙汰しております。本日からブログ更新を再開します。どうぞよろしくお願いします。
まだ模型弄りは出来ていませんが、過去の書きかけのがありましたのでこちらを投稿します。
さて、今回は「受託整備」ということで、友人の車両を弄ります。
事の発端は2年近く前、一昨年3月に箱根ヶ崎のファインクラフトで運転会をした時のこと。
友人Y氏の持ち込んだ秩父デキが不調になった時のことです。ちなみに並走しているのは私の西武701系赤電です。画像は動画から切り取りです。
不調だから見てくれと頼まれたのか、細かいことは定かではないですが、弄ってるうちに台車が変な角度で固まってしまったのをどうにかしようと捏ねくり回しているうちに、外れた台車が戻せなくなってしまいました。
当時はまだマイクロエース製機関車の分解経験がなかったので、大手2社のように簡単に台車が着脱できると思い込んでいたんですね。
当然、いくら押し込んでも直ることはなく、私は結果的に壊してしまったことを持ち主に詫びて、もし修理に出すなら修理代を負担する旨を伝えて返却したのでした。
そしてそれから約1半年後。
マイクロエース製機関車(ED79)の分解経験を経て、何故あの時直せなかったのかを理解した私は、再度Y氏に修理を申し出ました。
以前に記事にもした、8月のプラスポート運転会で引き渡しを行い、満を持しての修理開始です。
無理やり押し込もうとした記憶が蘇ります。そりゃ、いくら押しても直りません。
とりあえずボディは外しましょう。
ネジ止めされた基盤とウエイトを外します。ここまで外さないと台車が取り付けられないんですよね。
こちらがモーターの軸で、
こちらが台車の軸。
これらをこのジョイントパーツで繋ぐことで、モーターの回転が台車に伝わる仕組みです。
こんな感じでくっつきます。
モーターも一旦外した方が組みやすそうだったのでさらに外しました。
台車の上のパーツもさらにバラし、ギア部をモーター側にくっつけています。
台車をあるべき場所に置いて、
ギアを取り付けたモーターを上から載せると楽でした。
ギアの蓋を閉めます。
ウエイトを載せて、
基盤を載せてネジ止めしたら完成です。
ボディを載せるとこんな感じ。1年以上ぶりに本来の形を取り戻しました。
さて、直ったのでめでたしめでたし……としたいところですが、そもそも1年前に分解しようとしていたのは「どうも調子がおかしかったから」なんですよね。
走らせてみると、なるほどどこかで空回りしているような感じがあります。台車が片方しか動いてない?
さきほども掲載した画像ですが、ここに見えている、軸を接続する部分の突起が破損したか何かで、片側が空回りしてしまっているようです。
さて困りました。さすがに破損してしまったパーツを直すことはできません。可動部ですから、接着剤でガッチリ止めてしまうわけにもいかないですし。
……とまで考えて閃きました。ゴム系接着剤なら多少伸縮するので、継手の代わりになるんじゃないでしょうか。
作業中の写真を撮り損ないましたが、これが見事に効きまして、元気に走るようになりました。
出場試運転。その辺にあった二軸貨車を死重代わりに繋いでいます。
耐久性が心配ですが、とりあえず30分ほど走らせても大丈夫だったので、しばらくは大丈夫そうです。
と、こんな感じでまた週1ペースでの模型弄り記事を投稿予定です。今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします。
お知らせ
しばらく更新をお休みしておりましたが、再開の目処が立ちました。
書きかけの記事がありますので、こちらを利用して今週金曜から更新を再開する予定です。
更新ペースは今まで同様、毎週金曜17時の定期更新を目指します。
未整備の車両も溜まっていますし、整備委託を受けた車両も数編成ありますので、ハイペースでやっつけていきたい所存です。調子が良ければ、金曜以外にも臨時便を出したいところです。
また、しばらく放置している研究記事も再開するつもりです。Twitterなどを拝見していると、当ブログが専門としている「快速海峡」に限らず、在来線時代の津軽海峡への注目は高まる一方です。私のように当時を知らない趣味者でも「津軽海峡ごっこ」ができるよう、あちこちに散乱している資料をまとめていければと思っています。
もしお手持ちの資料がありましたらお教えください。「○○という雑誌の何号に○○が載ってるよ」という情報だけでも結構です。何卒よろしくお願いいたします。
それでは、ご挨拶が遅れましたが本年もよろしくお願いいたします。
令和3年孟春 ひるぜん
本年もお世話になりました
ひるぜんです。
諸事情によりブログ執筆のための時間が取れず、先日より更新を停止しておりますが、1月後半から再開する予定です。
今年の総括などは、その時にでも改めてさせていただきたいと思います。
ともかく、今年もくだらない記事にお付き合いくださいましてありがとうございました。
令和3年が皆様にとっても良い一年になりますことを心よりご祈念申し上げます。
令和2年大晦日 ひるぜん
【入線整備】KATO 青い森鉄道701系をお手軽整備
今日の模型弄りです。
しばらく旅行記事でお茶を濁しましたが、ちょっと模型弄りの時間が取れたので久しぶりの模型弄りです。実に1ヶ月以上ぶりでした。
とりあえず開けたまま。KATOは基本的にReady to Runなのでアンテナ類の取り付けはなく、そのままでもおかしなところはないようになっています。
青い森鉄道に譲渡された頃は地味な盛岡色にステッカーを貼っただけでしたが、しばらくしてこの派手なラッピングが全車に施工されました。「モーリー」というキャラクターだそうで、なかなか可愛いです。
付属品はこんな感じ。ステッカーの他、電連パーツと連結運転時用のスカート、そして前面行先表示を交換する時用の導光パーツです。あとドライバー。
ボディを外してみました。行先は青森のままでいいでしょう。かつては間合い運用で「新青森」行きがあったので、いずれ秋田色が発売になった時にステッカーを流用して再現してみるのも面白いかな?
(後日記:そういえばあっちはLEDでしたね)
青い森鉄道は原則ワンマン運転なのでワンマン表示があります。製品仕様ではこのように取り付けろとされていますが、ステッカーの接着面が剥き出しのままぶら下がる形になるのはちょっと気になりますし、透明部分とはいえ余計なステッカーを前面幕のすぐ下に貼ってしまっては正面から見て丸見えです。
というわけで、ちょっと思いつきでこんな加工を試してみます。パッケージの透明プラにステッカーを貼って切り出します。
もう一度貼って、プラを2枚重ねに。
固まったら透明部分を切り落とします。最初から「ワンマン」部分だけで良さそうなものですが、接着面ができるだけ平滑な方が良いかなとこうしました。
プラを2枚重ねにして厚みが確保できたので、あとはゴム系接着剤でくっ付けるだけです。
同時進行で電連パーツを取り付けて前面は完成。電連をつける時は一旦スカートや連結器カバーを外すと楽でした。
連結器はダミーではなくフック無しになったKATOカプラーですが、連結運転させる場合はスカートを交換する必要があります。このままだとカプラーが首を振らないんですね。
青い森はこの塗装になって以降は基本的に2両編成でしか使われていないはずなので、今回はこれでよしとします。
側面行先ステッカー貼り付け。ちょっと切り出しに失敗しまして黒い枠線が入っちゃってますが、肉眼ではわからないので気にしないことにします。たぶん、これを切り直す方が汚くなりそうなので。
ドアや優先席のステッカーはあえて貼りませんでした。この手のステッカーは下手に貼るとかえって見栄えが悪くなりがちです。
出場試運転。手前味噌ながらワンマン表示はいい塩梅になった気がします。
【出場試運転】KATO 青い森鉄道701系 pic.twitter.com/lYaO8xQAt4
— ひるぜん (@yakigyuneshi) 2020年11月24日
ボディがズレてるのは写真にしてから気付きました。後で直しておきます。
とまあこんな感じで、あまり時間も取れなかったので製品を開けただけのお手軽簡単入線整備でした。こうなると秋田車も欲しくなってくるものです。早く製品化されないかな? 青い森703系も並べたくなりますね。
かつての特急街道も今は昔。すれ違うのは同型車か貨物列車ばかりです。有効長の長いホームにひっそりと佇む2両編成の電車は、なんともいえない侘び寂びを感じさせてくれます。
ひとまず、今日はこれにて。
【旅行報告】サンライズと麺と貸しレイアウト〜東西反復2往復の旅(その3)
前回の続きです。
前回はこちら
サンライズ瀬戸で四国上陸を果たした私。高松到着から約3時間後、目の前には四国の車両が走っていました。
……何らおかしなところはないですよね?
というわけでやってきました、貸しレイアウトのプラスポートさん。新横浜から東神奈川に移転されました。移転後初訪問です。
JR四国の2000系特急車とキハ58。私の四国のイメージはキハ58最末期の2006〜7年頃です。
どちらも入線整備はまだなので、いずれちゃんと整備したいところです。
今回の運転会は以前「OT運転会」として記事にしたメンバーから少し人数を減らした5名で、時期を考慮して1人あたり複線利用として線路を潤沢に使わせていただきました。
私はヤード付きの11番線を使わせてもらうことに。11番線は複線のように同時に2列車の運転ができるお得な番線です。転車台付きの広いヤードは新横浜の旧店舗にもありましたが、移転に伴って有効長がかつての15両対応から8〜12両程度に縮小されていました。また、以前はヤード内の入換用に配線と給電が完結されていたので、本線を走らせたまま入換運転ができたのですが、今の配線だとどうしても本線を支障します。今回四国の車両を除くと12両編成の北斗星を多く持ち込んでいたということもあり、少し使いづらかったです。
一度使って感覚が掴めたので、次はもう少し短い編成のものなど、レイアウトに合った車両ばかりを持っていけば、もっと楽しめるかなと。ぜひまた伺いたいです。
四国じゃない車両も混じっていますが、こんな感じで気動車などを中心に並べるといい感じになりそうです。
まもなくN2000系も発売になりますね。
ラストは相鉄12000系。5人で6本並べます。以前相鉄12000系弄りの記事で載せましたね。
運転会が終われば晩ご飯です。おなじみ我孫子駅、弥生軒の唐揚げ(うどん)です。この人また麺食べてる……。
東京まで戻ってきました。もう大阪方面は最終「のぞみ」しか残っていません。
ところで、今回の旅行記事その1で、「往復サンライズを予約した」ということを書きました。往路のサンライズには乗りましたが、復路のサンライズの切符もまだ手元にあります。
では、これから復路のサンライズに乗りにいきましょうか!
21時26分。上りサンライズ瀬戸が高松を出発する時刻です。乗っているのは21時24分に東京を出る最終のぞみ。なんだかアリバイトリックでも組み立てている気分です。
新幹線に乗ったので、いつものやつ。入荷したてなのか、すごいことになっていました。解凍にかかる時間、通常比200%(当社調べ)。
ちなみにスプーンを立てて写真撮ったりはしません。あれ、お行儀悪いですよ。
名古屋で在来線からの接続待ちをしたので数分遅れて新大阪着。車内で車掌氏が最終の姫路行き新快速に乗り継ぐか確認して回っていましたが、新快速も遅れていたのでその心配は杞憂に終わったようでした。
で、大阪駅着。今ではすっかり「リカラーで見るやつ」というイメージです。大阪駅より高頻度で行ってます。
サンライズも遅れていました。
さて入線です。今朝高松に着いた車両がそのまま折り返してくるので、行きに乗ったのと同じ編成ということになります。
出雲編成は別の編成に差し代わっていました。
乗車券を買って行かなかったのですが、出札窓口も長距離券売機も営業していなかったので、初乗りで入って車内で精算しました。
復路の部屋はシングルツイン。2段ベッドのためシングルより天井が高いのが魅力です。
散らかっていてすみませんが、こんな感じで上下段ともにベッドを畳むことができるので、立ったまま着替えができます。ソロやシングルにはない魅力です。
まあ、往路がシングルデラックスだったのでこれでも窮屈に感じてしまいます。
下段は昼行モードにしたまま荷物などを置いて、上段のベッドを展開して上に寝ました。やはり上の方が揺れるのと、たまにギシギシ言うのが気になる人は下に寝たほうがいいと思います。
上段で目覚めた朝、既に大船手前です。窓が大きくて良いですね。
もちろん開けたまま寝たわけではなく、起きてから開けました。
横浜まで二度寝をしてから下段に降りて着替え、そのまま下段の座席で車窓を眺めていました。まあ、見慣れたというか見飽きた景色ではありますが、サンライズから見るとまた違って見えるものです。
東京駅に帰ってきました。私は一晩かけてようやく東京に帰ってきたので、まさか昨晩ここにいたなんてことは……。
旅行からもう3ヶ月も経ちましたが、そんなこんなで旅行の報告でした。
列車に乗るか列車を走らせるか車を運転するか麺を食べるかのどれかを常にしていた気がします。もう少し四国に経済的な貢献をできればよかったのですが、讃岐うどんを食べて讃岐うどんをお土産に買うくらいしかできませんでした。
仕事の関係でなかなか2日以上の休みが取れないので次に旅行するのは先の話になりそうですが、今の時代に合った形での旅行を模索していきたいですね。
さて、今回はお試し運用中のYouTubeチャンネルでも連動してサンライズの動画を上げてきました。よくある車窓動画になりますが、よろしければ暇つぶし程度にご覧いただければと思います。
動画第三弾は本記事と同時投稿予定です。後ほどリンクを貼ります。
ひとまず、今日はこれにて。
【旅行報告】サンライズと麺と貸しレイアウト〜東西反復2往復の旅(その2)
前回の続きです。
前回はこちら
寝床に戻ったのは遅く、布団に入ったあたりで名古屋を通過した記憶があります。
その後もうつらうつらとしながらも熟睡することはなく……。
その後も熟睡することはなく、朝の最初の停車駅である姫路が近づいたあたりで眠るのを諦めました。
和気で智頭急行が分岐するのを眺めたり、おはよう放送を録ったりしているうちに岡山に到着。
ここで2本のサンライズが分割されます。
下りサンライズへの乗車は初めてでしたが、この分割の光景は以前にも眺めたことがあります。その時は東京から岡山まで夜行バスで来た時で、津山線に乗るべく改札を入ったところで丁度サンライズが入ってきたような記憶があります。
サンライズで一番良いベッドに寝たはずなのに、夜行バスの時より眠れていないのはどういうことなんでしょう。
羽田の駐車券を持ってサンライズに乗る人もなかなかいないでしょう。前回羽田からスタートした理由も、そろそろお判りかと思います。
瀬戸大橋を渡って、高松へ。
今日は臨時延長があるので30分ほど停車した後に琴平に向けて再出発します。我々も当初はその予定でしたが、今回はここでお別れ。
四国に来たのはだいぶ久しぶりなので、7200系は初めて見ました。すっかり近代化しましたね。
高松の駅舎は、「すまいるえきちゃん」仕様。可愛いですね。
駅構内の「連絡船うどん」が休止中とのことで、駅前のめりけんやに来ました。
めりけんやはJR四国系列で、関東の駅ナカにも進出しています。
うどんを食す。そういえば昨夜の晩ごはんは蕎麦でした。麺ばかり食べてます。
お箸の位置がお行儀悪いことになっていますがお許しください。時間が結構ギリギリでして、撮るや否や大急ぎで掻き込んでいました。
食べたらバス停へ猛ダッシュ。本当はもう少し時間の余裕があったんですが、私がサンライズの車内でお腹を壊していたので、高松についてもなかなか車内から出てこれなかったんですよね。
というわけで、高松空港に来ました。
同時刻に大手2社から羽田行きが出て、さらに30分後には成田行きのLCCが出るというダイヤ。本来かなりの需要があることが伺えますが、この時間は羽田行きANAを除いて欠航中でした。
というわけで、羽田に帰ります。東京高松間最速のトンボ帰りはうまく行きそうです。
我々が乗るとドアが閉められ、定刻前にプッシュバック。そういえば乗客が揃えば出発できるシステムでしたね。もっと急いでおけばよかったです。
航路。
羽田に着くとバス移動でした。あれこれ欠航しているのだから、ターミナル直結のボーディングブリッジが空いていそうなものですが、詳しい人に聞いてみたら「収入が激減しているのでブリッジの使用料を節約しているのだろう」とのこと。人件費や手間のかかるバスの方が安いというのも不思議な話です。
そして、今度は駐車場に急ぎ(昨晩羽田スタートだったのはこのためです)、車に乗って移動……。
1時間後、目の前を四国の車両が走っていました。
次回に続きます。
撮影した動画です。おはよう放送から岡山発車までの各放送と、岡山での切り離し風景をまとめました。