新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その6)

久しぶりの研究記事です。

 

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昨年より不定期で「快速海峡の編成について」と称し、かつて津軽海峡線で運行されていた快速「海峡」号の編成考察を行っています。

 

バックナンバーはこちら:

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その1) - 新綱島検車区業務日誌
 その1は実車研究。牽引機であるED79形について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その2) - 新綱島検車区業務日誌
 その2は使用客車である50系について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その3) - 新綱島検車区業務日誌
 その3は50系の編成パターンの考察(1988年~1994年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その4) - 新綱島検車区業務日誌
 その4は50系の編成パターンの考察(1997年~2002年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その5) - 新綱島検車区業務日誌
 その5は『JR気動車客車編成表』に基づく補遺・俯瞰的な記事です。

 

「その6」となる今回は、快速「海峡」で使用されるもう1つの形式である14系について、実車の簡単な歴史を交えつつ、JR北海道車の変遷を簡単に概観します。

14系客車のプロフィール

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14系客車は1971年から1978年まで、当時の国鉄製造した特急形客車です。直前の1969年に登場した12系客車をベースに、12系と同様に編成内の一部車両に発電用エンジンを搭載し、サービス電源を客車で完結させることによって牽引機を選ばない広汎性が特徴です。座席車・寝台車の両方が製造され、これらは同一システムであったため混用が可能でしたが、登場当初は同一列車に両者が混結されることはほとんどなく、また外観の印象も大きくことなるものであったことから、それぞれ「14系寝台車」「14系座席車」として区別することが一般的です。

また、14系寝台車には製造時期によって14形と15形の2種類があり、製造時の寝台仕様が異なります。14系座席車にも形式に14と15の両方が使われていますが、座席車の場合は当初よりこの両方が設定されているため寝台車のようなグループ分けはされません。

  14形 15形
寝台車 14系14形 14系15形
座席車 14系座席車

14系寝台車の概要

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(画像はオハネ14改造の24系オハネ24)

14系寝台車の車種構成は、B寝台緩急車である「スハネフ14」を両端に配置し、その中間にB寝台車「オハネ14」か、もしくは必要に応じてA寝台車「オロネ14」または食堂車「オシ14」を連結します。緩急車「スハネフ14」の床下には発電エンジンと発電機を備え、自車を含め5両に電力を供給する能力を持っています。

15形の登場後は、14形のスハネフ14に相当するB寝台緩急車の「スハネフ15」と、オハネ14に相当するB寝台「オハネ15」が製造されました。14形と15形の主な相違点は、14形が3段式寝台であったのに対して15形では2段式とされたこと、車体側面の飾り帯を14形の白塗装帯かたステンレス無塗装帯に改めたことと、1972年に発生した北陸トンネル火災事故を受けて難燃化を強化、特に自動消火装置などが搭載されたことが挙げられます。火災対策についてはその後14形に対しても順次施工され、寝台の2段化も進められました。ですから趣味的にみて両者の相違点は、若干の定員や室内レイアウトの違いの他、目立つのは飾り帯が白か銀かというと、スハネフ車の乗務員室側(後位側)妻面が、14形で切妻だったものが15形では折妻に改められた点が挙げられるでしょうか。

いずれにせよ、製造時期の違いによる差異はあれど、これらは基本的に同一グループであり、時代が進むにつれて混用されるようになります。

14系座席車の概要

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(画像は500番代車)

 一方14系座席車の車種構成は寝台車以上にシンプルで、発電エンジン付き緩急車「スハフ14」と発電エンジン無し緩急車「オハフ15」、そして中間車の「オハ14」の3種のみが設定されました。ジョイフルトレインに改造されたものを除いてグリーン車も存在しません。寝台車グループと同様にこちらは「スハフ14」の床下に発電エンジンと発電機を搭載しますが、こちらは寝台車グループ(180kVA)より出力が強化(210kVA)されており、自車含め6両に電力を供給する能力をもっています。また、寝台車グループにはない「発電エンジン無し緩急車」であるオハフ15が設定されていますが、このような車種設定はベースとなった12系と同様です。12系は14系座席車の製造終了後も製造が続けられ、後期車ではオハフの設定を廃止してスハフのみとし故障時の冗長性を確保するよう改められましたが、14系はそれ以前に製造が打ち切られたため、スハフ(63両)とオハフ(53両)はほぼ同数が製造されています。

後年、ジョイフルトレインへの改造が増えてくると発電エンジン搭載車が不足するようになり、オハフ15にエンジンと発電機を搭載してスハフ14に改造する事例が出てきます。このような改造はスハフを多めに製造していた12系にはないもので、14系座席車の特色の一つと言えるでしょう。

14系500番代(北海道仕様車)の登場

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さて、牽引機を選ばずどの路線でも使用できた14系ですが、北海道向け車両の設定は寝台車・座席車ともに行われず、北海道仕様車の登場は1981年の改造車まで待たねばなりません。当時道内でさかんに設定されていた急行列車に使用される旧型客車が老朽化してくる一方、本州の14系には早くも余剰が発生していました。そのためそれらの余剰車に北海道向け耐寒耐雪改造を行ったものが14系500番代です。

雪に弱い折戸式の客用扉を引戸式に改め、暖房能力を強化、旧型客車との混用のためのSG(蒸気暖房)管を引き通しました。ブレーキに用いる制輪子を雪に強い鋳鉄製のものに取り替えるなど台車周りの改造のため、最高速度は110km/hから旧型客車と同じ95km/hにダウンしています。

改造によって消費電力が増したため、給電能力は自車含め4両までとされて発電エンジン搭載車の必要数が増える一方で、種車は発電エンジン搭載車の数が限られていたため、エンジン無しのオハフ15にエンジン搭載改造を行って所要両数を充足しています。

1981年より、まずは座席車の投入を開始して「ニセコ」や「大雪」など道内急行に用いられていた旧型座席車を置き換え、続いて1983年には寝台車を投入することで編成内の14系化を達成しています。とはいえ荷物車の設定はないため、国鉄末期に荷物車の設定が廃止されるまでは旧型車との混結が続けられていました。

JR化後は海峡線需要が逼迫したため、各線の急行廃止や特急格上げなどを行って座席車は快速「海峡」・急行「はまなす」向けに集中配備を行いました。一方で寝台車需要は年々減少し、一部車両が気動車連結対応改造を行ってキハ400やキハ183に挟まれて運用された他は、北斗星用に改造されて24系を名乗るようになります。一方で急行「はまなす」の寝台車増強のため、24系である「オハネフ25」から2両が発電エンジンを搭載して14系化され「スハネフ14」の550番代になりました。

最後の定期急行列車であった「はまなす」の廃止によって、北海道から青色の14系は消滅してしまいましたが、今も「SL冬の湿原号」用の14系座席車は元気に運用を続けているほか、「はまなす」用車両の一部は東武鉄道大井川鐵道に譲渡されています。少なくはなりましたが、もう少しだけ各地で活躍が見られそうです。

北海道の楽しい改造車たち

JR北海道所有の14系は前述の通り全車が改造車でありますが、道内の需要に合わせてさらに別形態へ改造された個性豊かな車両たちが存在します。

「ドリームカー」化改造

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1988年、札幌~釧路間で運転されていた夜行急行「まりも」の居住性向上のため、オハ14のうち5両(503・505・507・508・510)の座席をグリーン車用のリクライニングシートに交換し、指定席車として運用しました。同時に格安の「まりもドリームきっぷ」を発売したことで好調な利用を得て、1993年の特急化まで使用されました。

正式には「ドリームカー」ですが、車体に大きく「marimo」とペイントされていたこともあって、趣味者間ではこの時期のドリームカーを「まりもドリーム」と呼称して区別することもあります。

「まりも」運用から外れた後、同年5月頃からは「marimo」ペイントもそのままに急行「はまなす」・快速「海峡」の運用に充当されるようになり、「はまなす」廃止まで利用者に親しまれました。「marimo」は1995年頃まで残存していたことがわかっています。

気動車の一員になった14系

1988年の津軽海峡線開通後、利用が好調な急行「はまなす」・快速「海峡」用の車両を捻出するため、そして道内急行のスピードアップを図るため、JR北海道普通列車用のキハ40形気動車を高出力化・夜行列車対応化して「キハ400系」を登場させ、これによって14系客車による急行「利尻」を置き換えました。この際、寝台車は引き続き14系を用いる方針がとられたため、スハネフ14の3両(501・505・508)に対しては気動車用の引き通し関係の整備などを行い、外装塗色も連結相手のキハ400と同様のものに改め、1991年から気動車の一員として運用されるようになりました。

気動車の一員といっても自走できるわけではありません。急行「利尻」は稚内に到着すると折り返し整備を行って昼行の急行「宗谷」になりますが、「宗谷」に寝台車は不要なため一度南稚内まで回送し、スハネフ14は他の気動車に押されて車庫に入庫、あらためてキハだけで編成を組んで出庫させるという面倒な手法がとられています。

この“気動車化”改造はさらに続けられ、翌年1992年には「オホーツク」向けに、さらに1993年には「おおぞら」向けにそれぞれ追加改造され、こちらは連結相手をキハ183系として運用されるようになりました。この結果、改造対象はスハネフ14全車とオハネ14の3両に及びました。この時点でこの3両を除いた全てのオハネ14が24系化改造を行って北斗星用に転用されていたので、この改造により青い14系寝台車は北海道から全て消滅……したわけではありませんでした。

唯一の「はまなす」専用車

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津軽海峡線開通とともに運転を開始した青森~札幌間の夜行急行「はまなす」は、当初全車が14系座席車で運転されていましたが、両都市間の夜行移動需要は大きく、寝台車の連結が利用者から強く望まれていました。しかしこの頃は「北斗星」の増車・増便が急務であったことから、とうてい「はまなす」に寝台車をまわす余裕などなかったのです。

JR北海道は道内急行に使用していたオハネ14の連結数を徐々に減らし、捻出した車両に24系化改造を行って北斗星に投入していきました。そして必要数が出揃い、1991年に北斗星3往復全ての12両編成化が達成されると、北斗星用オハネの一部に14系連結対応化工事を行ってついに「はまなす」にB寝台車が1両連結されるようになったのです。これが1991年7月でした。

この時点での編成は、函館方から<スハフ-オハネ-<スハフ-オハ-オハ-オハ-オハ-スハフ>というもので、上りの青森到着後は函館方のスハフとオハネを切り離し、青森方座席車のみを昼間の快速「海峡」に使用しました。こうなると、切り離したスハフが勿体なく見えてくるもの。「海峡」がいくら混雑していても、このスハフを活用することは難しいわけであります。それなら、この部分も寝台車にしてしまいたくなります。

実際にそんな考えで作ったわけではないと思いますが、およそ半年後の1991年12月にオハネフ25形200番代2両に発電エンジンを搭載した「スハネフ14形550番代」が登場しました。「北斗星」のために車両を供出され続けてきた14系ですが、ここで一転して24系が14系に供出される事態になったのです。

なおここで「でも北斗星用車には余裕がなかったのでは?」という疑問が浮かびますが、実はこの直前の1991年9月に、それまでオハネフ25が連結されていた5号車に、オハネフに代わって乗務員室付きの“ソロ”車「オハネ25形550番代」が連結されるようになっていて、これによりオハネフが2両捻出できたというからくりです。このソロ車、実は車体新製車で、足回りの種車はオハ14。結局これも14系の“犠牲”によって実現していた、というオチなのでありました。

さてこのスハネフ14形550番代ですが、実は唯一の「はまなす専用車」です。というのも、「はまなす」に用いられる座席車は昼間に快速「海峡」に使われますし、寝台車のうち24系部分はいずれも「北斗星」と共用の車両です。昼間は青森に留置され、青森と札幌の往復だけに用いられるこのスハネフ14だけが、生まれてから引退まで正真正銘の「はまなす専用車」だった、ということは強く主張していきたいところです。

もはや伝説となった「はまなすカーペット」

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唯一の「はまなす専用車」がスハネフ14形550番代だと申しましたが、しかし一般的に(あくまで趣味者間での話ですが)「はまなすの改造車」と言って真っ先に思い浮かぶのは「カーペットカー」でしょう。1997年3月の改正から、普通指定席料金だけで横になれる車両として、「のびのびカーペット」の標記を携えて登場しました。先行して登場していたキハ57系の快速「ミッドナイト」用カーペットカーや、後に続いて登場した「海峡」用の「ゆったりカーペット」車とは異なり、定員を増やすため上下二段式のカーペットを設置。上段からも外が見えるように作られた独特の窓配置は、当時相当のインパクトをもって迎え入れられたはずです。

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車両定員はB寝台車(32名)よりも少ない25名。一般の簡易リクライニング車が充当される繁忙期の増結指定席車(64名)と比較すると、1人あたりで実に倍以上の空間を占有することになる非常に贅沢な車両で、年間を通じてほぼ満席だったと言われています。

知る人ぞ知る、もう1両あった「カーペットカー」

北海道の14系カーペットカーといえば、9割以上のファンが前述の「のびのびカーペット」を思い浮かべ、それ以外があるとは想像だにしないでしょう。しかしコアなファンはもう1両だけ存在した、無名の「カーペットカー」を追い求めてやまないのです。

1988年から恵比寿~白石間で運転された「カートレイン北海道」は、その運転形態の珍しさもあってか当初は人気を博したものの徐々に利用率が低下。運転側の手間も多いことから1997年に運転を終了し、「カートレインくしろ」に転用されました。その後1999年に運転区間を東青森~白石間に改めた「カートレインさっぽろ」が運転され、再び青函トンネルをカートレインが通過することになりましたが、この際に併結する乗客用の車両として用意されたのが“もう1両のカーペットカー”である「オハ14 513」です。

「カートレイン北海道」や「カートレインくしろ」では24系寝台車を連結していましたが、これを14系座席車にすることで価格を抑えるのが目的だったのでしょうか。利用が奮えば毎年運行するつもりだったのでしょうが、結果的にわずか8往復運転されただけで終了してしまいました。

その後は14系使用の団体列車や、快速「海峡」の50系運用の代走時などに連結されていた記録があります。団体向けの活用を模索したのか、「海峡」廃止に伴って同僚の多くが2002年に廃車になる中、この513は約1年ほど長生きして2003年10月31日付けで廃車になっています。いかんせん定期列車にほとんど使われなかったためか、はたまた他のカーペット車のような特徴的な外装を持たないためか、ほとんど記録に残っていないのが現状で、14系の詳説を謳う商業誌にすらその存在を見落とされるような有様です。最近までWikipediaにも記述されていなかったように記憶しています。

当時の記録をお持ちの方は、ぜひ何かの媒体に発表していただくか、当ブログに情報をお寄せいただけますと幸いです。

SG管が現役な「SL用改造車」

最後に取り上げるのは、1999年に当時の朝ドラとのタイアップで運行を開始した「SLすずらん号」用の改造車です。14系で「すずらん」といえば、国鉄時代に運転されていた室蘭本線の急行「すずらん」の臨時夜行便を連想しますが、こちらは留萌本線での運行。夏季は留萌本線の「SLすずらん号」、冬季は釧網本線の「SL冬の湿原号」で運用され、また2003年からは「SL函館大沼号」など函館地区のSL列車にも使用されましたが、「SLすずらん号」は2006年の運転をもって、「SL函館大沼号」は2014年の運行をもって終了。以降はほぼ「SL冬の湿原号」の専属車両として使用されています。

運転開始当時はまだ14系の数が逼迫していたことからスハフは1両しか用意されず、中間車を挟んだ反対側には車掌車ヨ3500が連結され、さらに旧型客車から改造した「カフェカー」のスハシ44が組み込まれる凸凹編成が特徴的でした。快速「海峡」の廃止によって余剰車が出たため2003年にスハフ14を1両追加改造し、以後は14系4両の中にカフェカーが入る5両編成として運転されています。

運行費用の増大やJR北海道の経営難により存続問題が取り沙汰されることもありましたが、2021年に内外装と機器類の全面改修が発表され、今後も引き続き「SL冬の湿原号」の運行が続けられることになりました。

14系主体の客車編成ですが、中間に旧型客車由来のカフェカーを1両連結する関係で、SG管を繋いで暖房用蒸気の引き通しが行われています。旧型客車や50系客車を使用してSL運行する事業者でSG管を使用する例は他にもありますが、12系以降の新系列客車のSG管を常用する例はこの「SL冬の湿原号」のみと思われ、非常に貴重な存在です。それ目当てにいつか訪問してみたいのですが、なかなかチャンスがなく残念でなりません。

 

さて、本当はこの記事で車両の転配や運用の変遷についても書くつもりでしたが、思いの外筆が乗ってしまいましたので、それは次にまわすことにいたします。この先、順調に進めば「その7」で14系運用数についてまとめ、「その8」でようやく14系快速海峡の組成についてまとめる予定です。

50系編成についても追加資料が集まりつつありますので、まだまだこのテーマで書き続けることになります。追加に追加を重ねており、今から読むには非常に読みにくいシリーズになってしまい心苦しく思いますが、少しでも皆様のお役に立てれば幸甚に存じます。

なお、いつも通り間違いのご指摘や補足情報、資料提供など頂けますと小躍りして喜びます。ぜひご協力いただければ幸いです。

 

ひとまず、今日はこれにて。

 

(後日追記)続きはこちら。14系の配置数の変遷と編成両数について触れていきます。