新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その5)

先日の研究記事の続きです。

 

前回はこちら:

 

(後日記)記事の一覧はこちら:

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その1) - 新綱島検車区業務日誌
 その1は実車研究。牽引機であるED79形について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その2) - 新綱島検車区業務日誌
 その2は使用客車である50系について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その3) - 新綱島検車区業務日誌
 その3は50系の編成パターンの考察(1988年~1994年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その4) - 新綱島検車区業務日誌
 その4は50系の編成パターンの考察(1997年~2002年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その5) - 新綱島検車区業務日誌
 その5は『JR気動車客車編成表』に基づく補遺・俯瞰的な記事です。

 

前回以降間が空いてしまったのは、単純に執筆時間が取れなかったからですが、前回「その4」を投稿した後に、複数の資料提供をいただきました。

それを拝見していると、従来疑問だった点の解決と、新たに判明した事実とかありました。本来ならばそれを踏まえて「その3」や「その4」の改稿を行うべきなのですが、図表類の再作成が手間なのと、それより早く新しい資料を公開した方が良いだろうと考えましたので、そのまま続行させていただくことにします。

前回のラストに「次回は補遺的なものを」と申しましたが、今回はその新しい資料を紹介していきたいと思います。

 

その資料とは「JR気動車客車編成表」であります。

ジェイアールアールから毎年発行されているもので、列車ごとの編成表が掲載されています。これが、列車の基本編成の形式が一覧になっている程度だろうと高を括って調べもしなかったのですが、この本は特定日の列車編成を、「車番込みで」掲載している優れものであり、まさに編成研究にはうってつけの資料でありました。

今回1990年〜2002年の資料の提供をいただきました。ご提供いただいたひろぽん様、どうもありがとうございます。

また、不足する88年・89年の資料は、地元の図書館に蔵書がなかったのですが、別の自治体に住む友人がその居住地の図書館から借りてきてくれましたので、海峡運転中の全期間の資料を揃えることができました。

 

なお、「その3」の冒頭でオハフ50形の自販機搭載車について、「5001,5002,5004,5005,5012,5013,5015」と記載していたのですが、同じくご指摘をいただき、5011番についても自販機搭載車であることが判明しました。

私が当初参考とした鉄道ピクトリアルNo.917(特集:津軽海峡線)では5011番が欠落していましたが、この本はそもそも自販機搭載車を「オハ50」であるとするなど、少々怪しいところがありました。ご指摘を受けて、鉄道ピクトリアルNo.785号(特集:50系客車)を確認したところ5011番の掲載があった上、これが自販機設置ということであればいろいろと疑問点に辻褄が合ってくるので、5011番の自販機設置は確定ということでよいかと思います。

 

さて、毎度のごとく前置きが長くなりましたが、まずは「気動車客車編成表」資料から海峡の編成を抜粋して考察していきます。

 JR気動車客車編成表記載の編成例

1988年の基本編成

1989年までのこの本は「JR(国鉄)気動車客車情報」というタイトルで、後の「編成表」とは微妙に内容が異なっていて、車番が掲載されず基本編成の車両形式が並べられているだけのようです。

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1988年4月頃の50系「海峡」基本編成

【凡例】前回までと同様、オレンジ色で示したものがオハフ50、灰色がオハ50です。「指」とは指定席車、矢印は進行方向を示します。編成は左側を函館、右側を青森として統一しています。車両の上の数字は号車番号です。

【図10-1】 88年4月 出典:JR気動車客車情報88年版p.113

開業時の「海峡」50系充当列車の基本編成として掲載されている編成です。前々回(その3)でも記したように、最初の1年だけは後の時代と号車番号が逆順になっています。

1988年の定期「海峡」は1〜16号までの8往復で、このうち14系充当列車は下り3・13号と上り10・16号。それらを除いた6往復が50系充当です。海底駅停車列車は下りが3・5号と上りの8・10号で、上下共に50系と14系が1本ずつの設定です。

さて編成表では50系充当列車のうち、5・8号のみは2番目に記載した「増」号車入りの編成とされています。5・8号はどちらも海底駅停車列車であること、同じく海底駅に停車する14系の3・10号についても同様に増号車の設定があることから、この頃の海底駅見学者は増号車に乗車するように設定されていたのではないかと思います。上下列車ともに青森方が増号車です。

となれば、表中で増号車は自由席車とされているものの、正しくは海底駅専用車だったのでしょう。

1989年の基本編成

 

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1989年4月頃の50系「海峡」基本編成

【図10-2】 89年4月 出典:JR気動車客車情報89年版p.134

89年の基本編成です。号車番号が逆転し、函館方が1号車になっています。

1989年も定期「海峡」には運行本数・充当形式に変更はありません。ただし、海底駅見学希望者の増加受けて、いつ頃からかは分かりませんが見学対象列車が大幅に増加し、50系では下り5・7・9・11号、上り2・4・6・8・12号が海底駅に停車しています。

表中1番目の編成が海底駅通過の「基本形態」で、1・2号車が指定席です。下り1・15号と上り14号のわずか1.5往復のみがこの形態のようです。

2番目が海底駅停車列車で、指定席は1〜3号車に拡大しています。おそらく1号車が見学専用車でしょう。前述の通り昼間の4.5往復がこの形態で、もはやこちらの方を基本と言ったほうがいいかもしれません(が、本稿では海底駅通過列車の編成を基本形態として見ていく方向で統一します)。

なお編成表に記載し忘れましたが、88年版にはなかった禁煙車の記載が89年版にはあり、いずれの編成も2・6・7号車が禁煙のようです。開業時点では禁煙車そのものがなかったのか、それとも単に記載していなかったのか、どちらでしょう。

1990年4月1日の編成

さて、1990年からは本のタイトルを「JR気動車客車編成表」と改め、各年4月1日現在の編成を「車番付きで」掲載するようになっています。それをそのまま掲載することも考えたのですが、著作権的にグレーゾーンであると思われること、誤植と思われる部分が見受けられることから、車番をそのまま引用しないことにして、編成表はいつものスタイルに書き改めたものを掲載します。私の目的はあくまで「模型で編成を組む際に必要な法則性を編成記録から見出すこと」であることをご理解いただき、個々の車番が気になる方はぜひ原本に当たっていただきたく思います。

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1990年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-3】 90年4月1日 出典:JR気動車客車編成表90年版

前年に引き続き運行本数と充当形式に変化はなく、海底駅停車列車についても変更はないようです。基本編成も変わらず7両のままで、この4月1日は全列車が基本の7両編成での運転だったようです。14系は「はまなす」間合いで1本、50系は7連4本が稼働しています。

1番目は海底駅通過列車の基本形態で、指定席の連結位置に変更はありませんが、禁煙車が5・6号車に変更されています。前年同様1・15号/14号が該当します。

2番目は海底駅停車の下り5・7・9・11号で、指定席が1両増えて1〜3号車になるのも変わりありません。

3番目は海底駅停車の上り2・4・6・8・12号で、この年から上り青森行きの見学車両が12号車固定になっています。前回までの記事では「組成」を優先して細かな号車番号の違いなどは省略することが多かったのですが、今回の記事ではあえて細かく分けてみました。並べてみると、海底駅見学の有無による取り扱いの違いがよくわかるかと思います。

1991年4月1日の編成

さて、前々回(その3)の記事では、「海峡」基本編成が7両から6両に減車されたのは1991年11月であるが当該時期の編成表が確認できない、という旨を述べたかと思います。ところが、それより前の1991年4月の編成表で、下に掲載した通り6両編成で運転されたことが掲載されています。

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1991年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-4】 91年4月1日 出典:JR気動車客車編成表91年版

91年3月改正からだと思いますが、充当形式が変更になっています。定期列車の運行本数は8往復のままですが、14系充当列車を1・9号/6・14号に改めています。海底駅停車列車自体の号数に変更はありませんが、充当形式が変わったため50系の海底駅停車列車は3・5・7・11号/2・4・8・10・12号となりました。

上記編成表1番目は基本形態で、13・15号/16号が該当します。前年と比較すると、指定席の位置はそのままに、禁煙車だった6号車オハが減車され、7号車オハフが6号車に改められた程度です。

2番目は海底駅停車の下り列車編成、3番目が上りです。指定席位置のパターンは前年同様で、とにかく単純に自由席が1両減っただけという形のようです。

さて、「基本6両化はいつからか?」という問題ですが、このように基本6両編成の記録が実際に存在していること、鉄ピクNo.917記載の時刻表(p.78)の両数欄に6両と記載があることから、鉄道ジャーナルの記述が間違いと結論付けて良いかと思います。つまり、基本編成6両化は91年3月改正ということになります。

1992年4月1日の編成

92年3月改正では基本編成が5両に減車され、開業時の編成規模に戻っています。91年末から92年にかけて、50系・14系とも一部の緩急車に自動販売機の取り付けが行われました。自販機設置車は表中茶色で表記しています。

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1992年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-5】 92年4月1日 出典:JR気動車客車編成表92年版

今改正での運行本数・充当形式ならびに海底駅停車列車に変更はないようです。

1番目の編成は基本形態で、前年同様13・15号/16号が該当します。自販機設置車は中間の3号車に、非設置車が両端の1・5号車に連結されているようです。前年の編成から、さらに自由席である3号車オハを減車し、4〜6号車を3〜5号車に改めた形で、指定席と禁煙車の位置に変更はないようです。

2・3番目は海底駅停車列車で、2番目が下り、3番目が上りです。これら海底駅停車列車の自由席は、禁煙喫煙各1両まで減りました。

この年の「気動車客車編成表」には参考情報として3月23日の下り海峡3号の編成表が掲載されており、それが表中4番目の編成です。基本の5両に加えて6〜12号車を増結した形で、3号の函館到着後に6〜12号車を切り離した5両編成が折り返しの10号に充当された旨が記載されています。この表によれば指定席は1・2号車のみとありますが、3号は海底駅停車列車ですので少なくとももう1〜2両程度は指定席車があったのではないかと思います。

1993年4月1日の編成

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1993年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-6】 93年4月1日 出典:JR気動車客車編成表93年版

この年は運行本数・充当形式はおろか車両編成や指定席・禁煙車位置に至るまで何一つ変化なく、92年の編成表を2枚コピーしてしまったのではないかと思わず疑ってしまったほどです。編成表を見る限り、特に変更点はないようです。

1994年4月1日の編成

さて、またまた他誌の記述との矛盾点が出てきました。

鉄ピクNo.917p.81には、海峡基本編成の4両化を1994年12月としているように読める(ただし少々曖昧な記述であるようにも取れるので微妙なところです)のですが、それよりも前のこの94年4月の編成表で明らかに4両編成に減車されています。記録がある以上はこちらを信用すべきだと思いますが、変更されたのが前年の冬改正であるのか、春改正であるのかなど、もう少し情報を集めて見極めていきたいところです。

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1994年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-7】 94年4月1日 出典:JR気動車客車編成表94年版

この年は14系の充当列車が再度変更になっており、下りは1・9号のまま、上りが6・14号となっているようです。50系は3・5・7・11・13・15号/2・4・8・10・12・14号の6往復となりました。また、海底駅見学対象列車の変更で、50系は3・5・7・11・13号/4・8・10・12号が停車、15号/2・16号が通過となり上下列車の停車本数が逆転しています。

さて、まずは海底駅通過の基本形態は1番目の編成で、ご覧の通り4両編成となりました。指定席は1号車のみ、ほか3両が自由席です。自販機設置車の連結位置は4号車に変更されました。また禁煙車の設定位置も変更となり、従来は号数にかかわらず固定であったところが、指定席等の位置に応じて禁煙車の位置が変動するようになっています。基本形態では1・2号車が禁煙車で、唯一の指定席車が禁煙車です。

2番目の編成が海底駅停車列車の下りの編成で、おそらく1号車が見学者専用、2号車が一般向け指定席車でしょう。一般指定車が2号車に動いたのに合わせて禁煙車の位置も2号車にずれ、元々あった自由席の禁煙車は4号車となりました。

3番目が海底駅停車の上り列車で、セオリー通り見学車両が12号車になっています。3号車の次に12号車が連結される珍百景ばりの付番になりました。禁煙車の位置は基本形態と変わらず、一般指定車と自由席に1両ずつ禁煙車が設定され、見学車両は喫煙車というのも下りと同様です。

なおこの改正で4両に減車したのは50系充当列車だけで、14系充当の2往復は「はまなす」編成に合わせて5両編成のまま変化ありません。5連化した92年以降、廃止まで14系の基本編成は5両のまま変化ないようです。

1995年4月1日の編成

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1995年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-8】 95年4月1日 出典:JR気動車客車編成表95年版

95年も本数・形式に変化なしということですが、この年の4月1日は土曜日ということで、50系の稼働4本中2本に対して増結が行われ、5両編成で運転されていたようです。

今回は指定席・禁煙車の表記は省略として、組成のほうをみてみます。

1番目はいつもの4両編成で、この日は5・11・15号/2・8・12号がこの編成のようです。指定席車・禁煙車の連結位置は前年同様です。

2・3番目は基本4両にオハフ1両を増結した形で2編成あり、自販機設置の有無が異なったため表記を分けてあります。2番目の編成は4→7→16号に、3番目の編成は3→10→13号に充当されており、いずれも指定席・禁煙車の位置は下りの全列車と上りの海底駅通過列車においては5号車純増、上り海底駅停車列車は4号車を純増としたような形態です。

1996年4月1日の編成

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1996年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-9】 96年4月1日 出典:JR気動車客車編成表96年版

運転時刻に最大30分程度の変化がありますが、運行本数や充当形式などは依然変わらず、編成パターンにも特に変化はないのですが、この年の4月1日は平日ということで、増結が行われていた前年とは反対に、一部列車で減車措置が行われています。

所定編成は1番目の編成で、94年のものと同様であるため1つにまとめてあります。

減車対象となったのは昼前に函館を出る8号と、折返し青森夕方発の11号です。表中2番目の編成が11号、3番目が8号です。どちらも海底駅停車列車ということで指定席車が2両連結され、自由席は禁煙車の1両だけという構成で、間違いなく「海峡」最短編成でしょう。8号では12号車の次に2号車が連結されているというのも他にあまり例を見ない面白いポイントです。

1997年4月1日の編成

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1997年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-10】 97年4月1日 出典:JR気動車客車編成表97年版

97年改正では「海峡」1往復が特急「はつかり」に格上げされた関係で、「海峡」は7往復(そのうち1往復は毎日運転の季節列車扱い)に減少しました。格上げ対象となったのは、下りでは青森を16時頃に発車する旧13号と、上りでは函館を朝9時頃に出る旧4号です。充当形式の変更は行われず、改正後の号数で14系は下り1・9号/上り6・12号に充当されています。海底駅停車列車については、下りでは停車対象の旧13号が特急格上げのため純減、上りは旧4号の代替で従来無停車であった2号が見学列車に指定されています。

編成表では、4両編成が94年のものと、減車された3両編成が96年のものと同様のため省略しました。4両編成は下り3・5・7・13号/上り2・8・10・14号で、そのうち3・5・7号/2・8・10号が海峡駅停車列車です。3両に減車されたのは前年とほぼ同時刻の11号/6号で、利用者の少ない閑散期の標準的な減車パターンがこの1往復であったものと思われます。

このすぐ後に「カラオケカー」や「カーペットカー」の連結が開始されるので、座席車だけのシンプルな編成が見られるのはこの頃までです。

1998年4月1日の編成

ドラえもん」とのタイアップが始まった1998年の編成です。前年のゴールデンウィークから連結を開始した「カラオケカー」や、同6月から連結の「カーペットカー」が加わり、車体装飾だけでなく組成自体も華やかになっています。少々多いですが、読み取れる範囲で全てのパターンを表にしてみました。

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1998年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-11】 98年4月1日 出典:JR気動車客車編成表98年版

「海峡」7往復中、「カラオケ」連結は6→11号の1往復です。前年まで季節減車が行われていた列車で、函館起点の1往復という運用上の取り扱いやすさもあるのでしょうが、利用率の低い列車に対してのテコ入れという意図が大きいように感じます。残りの6往復中1.5往復にあたる2→7→14号は5両に増結されています。この日は平日である木曜日ですが、同様に平日で減車が行われていた前年までとは反対に増結が行われているあたり、春休み期間中のドラえもんタイアップ効果ということなのでしょう。

さて表中上から2つの編成は海峡駅に止まらない基本形態で、1番目が下り13号、2番目が上り14号です。2号車に自由席車である「カーペットカー」が連結されるようになった関係か、基本形態における指定席車の位置が前年までの1号車から4号車に変更されています。

3・4番目は海峡駅に停車する下り列車の編成で、3番目の4両編成が3・5号、4番目の5両編成が7号です。4(・5)号車の一般指定席車はそのままに、見学者用指定席車を1号車に設定した形です。それまでは意味合いの異なる2種類の指定席車が2両連続していましたが、編成両端に分散されわかりやすくなったのではないでしょうか。

5・6番目は海峡駅停車の上り列車で、同様に4両編成の8・10号と5両編成の2号があります。やはり編成両端に指定席車を分けていますが、増結時の4号車も一般指定席車と思われ少々ややこしい感じです。

最後の2つは「カラオケカー」連結編成です。基本的には単純に4両編成の真ん中3号車にカラオケカーを連結した形態で、カラオケカーは指定席車として扱われます。下り列車の所定編成では指定席が1・3・5号車、自由席が2・4号車と分散しややこしいことになっています。3両ある指定席車も一般指定席車、カラオケカー、海底駅見学車両と意味の異なる車両であり、自由席車もカーペットカーと一般座席車という異なる形態の車両が連結されていることになり、非常にバラエティに富んでいます。上り列車の編成を表す最後の編成では、(この編成表を信用すれば)座席車の4号車も指定席車に設定されており、自由席車は2号車のカーペットカーのみの設定です。本来地元のローカル輸送を主眼としていたはずの「海峡」の自由席に座席車が1両もないとはどうにも信じがたいのですが。この「編成表」誌の誤植の可能性も常に念頭のおかなければなりません。

1999年4月1日の編成

前年のゴールデンウィーク頃から「ドラえもんカー」が連結されるようになり、「海峡」の全車種が出揃いました。翌年頃には「カラオケカー」が連結されなくなるので、ここまで賑やかな編成が見られるのはこの頃までということになります。

前年末、98年12月の改正で「はつかり」の運転時刻と号数に変更があり、「海峡」と列車順序の入れ替えが発生しています。どちらも運転本数に変更はありませんが、「海峡」においては運転時刻の大幅な変更と、充当形式に変更がでています。

14系充当列車は3・9号/6・12号と、わかりやすく3の倍数で揃っています。50系はそれらを除く1・5・7・11・13号/2・4・8・10・14号への充当で、このうち「ドラえもんカー」は5・7・11・13号/2・4・8・10号にフリースペース車として連結、さらに5・11号/2・8号にはカラオケカーが連結されています。

従来「海峡」の50系運用は1日1〜1.5往復が限度で4編成必要でしたが、98年12月に運転時刻が整理されたことで2往復することが可能になり、50系運用は3編成で回せるようになっています。

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1999年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-12】 99年4月1日 出典:JR気動車客車編成表99年版

賑やかになると申した直後にまさかの3両編成の紹介となりましたが、季節列車である夜20時台函館発の14号と翌朝の青森発1号は旅行客の乗車が見込めないためか短編成になることが多いようで、この日は所定4両編成から2号車「カーペットカー」を減車した3両編成での運転でした。

2・3番目の編成は「ドラえもんカー」連結、「カラオケカー」非連結の2往復で、下り7・13号と海峡駅見学対象外の上り10号が2番目の編成、上り列車で海峡駅に停まる4号が3番目の編成となっています。2番目の編成について自由席車が「カーペットカー」と「ドラえもんカー」だけになってしまうので、これも誤植を疑っています。

4・5番目の編成は全車種連結の豪華編成で、本記事の「その4」で99年3月28日に紹介したものと同一の編成かと思います。函館方にオハフが2両連結されていることについて、2両目が「増」号車と判明したためあくまで基本編成の法則性に変わりはないと分かったのですが、そもそもなぜこの位置に増号車を連結する必要があったのか疑問です。「その4」執筆時点ではドアカット時の自由席利用者の便宜を図ったものかと考えていましたが、どうやら当該号車は指定席車だった模様。これは仮説ですが、ドラえもんタイアップで増加した海底駅見学需要に対応するため、見学人数を増やすか、または竜飛・吉岡両駅の見学者を同一列車に乗せるかなどの対応によって、見学専用車両が1号車だけでは足りなくなったのではないかと想像しています。

2000年4月1日の編成

2000年3月改正ではさらに1往復(10→13号)が季節列車に格下げされ、定期6往復・季節2往復となりました。運転時刻に大きな変更はなく、使用形式にも変更ありません。「カラオケカー」の連結はなくなり、変わり種は「カーペットカー」と「ドラえもんカー」のみになりました。この頃から禁煙車と喫煙者の比率が逆転するようになったので、表中には喫煙車を表記するよう改めました。

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2000年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-13】 00年4月1日 出典:JR気動車客車編成表00年版

この年の4月1日は土曜日ということで軒並み増結が行われていますが、季節列車の1号と14号は基本編成のみの4両編成です。

2・3番目の編成は前年の表と同様に7・13号/4・10号の編成で、10両編成にまで増結されています。表中号車番号がおかしなことになっていますが、2番目が右(青森方)から「10・9・8・7号車」、3番目が「12・9・8・7号車」です。後日手が空いた時に修正します。「編成表」誌では3号車「ドラえもんカー」に禁煙マークがついていないのですが、子供向けのイベントスペースが喫煙車というのもおかしな話なので、これもまた誤植なのではないかと思います。指定席車についても同様で、さすがに指定席車が多すぎます。また、6〜8号車は全てオハのようですが、オハが3両連続しているというのは意外と例が少ないように思います。

4・5番目は「カラオケカー」の連結をやめた5・11号/2・8号ですが、やはり函館方2両目に「増」号車を連結しています。連結車種・連結両数に違いがなくなったにも関わらず決まった列車で設定がされているので、海底見学の関係ではないかと思いますが果たして。

2001年4月1日の編成

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2001年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-14】 01年4月1日 出典:JR気動車客車編成表01年版

本記事「その4」では、2000年5月頃から「ドラえもんカー」の連結位置が変更になったのではないか?と述べました。ところが、「編成表」誌では変わらず3号車に連結され続けています。

運用については前年と特に変わらないようで、1番目は1号/14号でいつも通りの編成です。

2番目の編成は「ドラえもんカー」連結編成のうち「増」号車のつかない方、7・13号/4・10号の編成ですが、この日は函館で定期7号から季節列車の10号に折り返す際に青森方6〜12号車を切り離したようです。指定席車等の位置に違いがなかったので1行にまとめてしまいました。

3・4番目は増号車入りの2往復、5・11号/2・8号です。増結部分は毎回編成が変わっていますが、基本編成の部分に変化はありません。「その4」で見た4号車ドラえもんカー一体何だったのでしょうか。

2002年4月1日の編成

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2002年4月1日の50系「海峡」編成

【図10-15】 02年4月1日 出典:JR気動車客車編成表02年版

長々と編成記録を追ってきましたが、ついに「海峡」最後の年2002年まで来てしまいました。

3番目まではもはや「いつも通り」と言っても差支えないのではないでしょうか。ここまで読んでこられた方にはもう見慣れた編成ではないかと思いますが、今回は増号車入りの5・11号/2・8号を先に持ってきましたというのも、もう一方の編成がおかしいのです。

4番目の編成が、「ドラえもんカー」付きのもう一方の運用である7・13号/4・10号のうち、定期列車の4→7号。これは特に変なところはありません。

5番目に載せたのが、この「編成表」誌に13号/10号の編成として掲載されていたものです。組成が大きく変わり、「ドラえもんカー」がなくなっていますが、別の編成に差し替えられたものではありません。車番を見ると、7号の1〜7号車からドラえもんカーを外した上で、7号基準での4・5号車の順序を逆転させたようになっているのです。函館停車中のたった20分程度で客扱いを考慮しながらできる入換のレベルではないので、「編成表」誌の間違いではないかと思います。

 

さて、02年4月の編成はここまでですが、実はまだ続きがあります。

2002年11月30日の編成

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2002年11月30日の50系「海峡」編成

【図10-16】 02年11月30日 出典:JR気動車客車編成表03年版

こちらは「海峡」最終運転日の編成です。指定席や禁煙車位置の表記はなく車番だけの掲載ですが、表に書き起こして見ました。このうち2番目のものは、「その4」でも最終日の13号の編成として取り上げています。1号・14号の編成は掲載されていないのですが、単に載せていないだけなのか、それともそもそも運転がなかったのでしょうか。上が5・11号/2・8号、下が7・13号/4・10号です。

どちらもドラえもんカーの連結はありません。最後なのですから全列車フル編成にしてもおかしくなさそうなものですが、上の編成は11両編成のようです。検査切れの運用離脱車があり連結できないなど、何か都合があったのでしょう。

 

駆け足ではありましたが、88年〜89年の「JR気動車客車情報」、90年〜02年の「JR気動車客車編成表」に記載の快速「海峡」の編成を取り上げて、簡単な私見を添えさせていただきました。これまで資料がなく空白地帯であった時期の編成があるなど疑問点がいくつか解消する傍ら、同時に疑問点も新たにいくつか出てきました。

なにぶん当時を知らない若輩者が付け焼き刃の知識と寄せ集めの資料で考察するという無謀な試みではありましたが、皆さんのご協力によりそこそこ形になってきたのではないかと思います。まだまだ全容が知れたとは言い難いですが、今後も資料集めと考察は続けていくつもりですので、何か資料やご存知の事柄がありましたらぜひお教えいただきたく存じます。今回資料をご提供いただきましたひろぽん様、また当時の時刻表をご提供いただき運用数等の割り出しに貢献してくださった白輝望様(n_shira様)と、図書館に赴いてくれた我が友人達に重ねて感謝申し上げます。

 

(後日追記)続きはこちら。14系について触れていきます。