新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その11)

机上研究シリーズ第11弾です。

以前から不定期で快速「海峡」の編成に関する記事を書いております。今回はいよいよ14系編成についてです。

 

記事が増えすぎてバックナンバー一覧を載せると邪魔になってきたので、過去記事を参照されたい方はサイドバーまたはカテゴリーからお願い致します。

 

目次

 

14系「海峡」とは

青函トンネルの開通に伴って運行を開始した、青森~函館間の快速「海峡」は、1988年の運転開始から2002年の廃止まで、全列車がいわゆる客車列車によって運転されていたことが知られております。主に「海峡」専用車として改造の上用意された50系5000番代による編成と、他列車の間合い運用などで充当された14系による編成に大別されるのですが、実は14系編成と一口に言っても、いくつかのパターンに分類されます。

というのも、快速「海峡」に充当された14系には、

・急行「はまなす」の間合いによって定期列車に充当されるJR北海道14系500番代札幌

・定期50系運用の代走や臨時列車として運転されるJR北海道14系500番代函館常駐車

・急行「八甲田」の間合いなどで臨時列車に充当されるJR東日本14系0番台車

などの種類が存在しました。

JR東日本車による運用としては、「MOTOトレイン」運転日にマニ50形やオハネ14形などを連結したままの急行「八甲田」編成が、快速「海峡」の80番代臨時列車として運転されていたものが有名ですが、「MOTOトレイン」運転日以外にも座席車のみの編成が間合い運用された他、亜種としては波動用の12系を臨時列車や定期列車の代走として使用したパターンもあり多岐にわたります。

これらJR東日本車による運用については今後改めて紹介することとし、今回は上記3種のうち2種類、JR北海道所属車による編成について取り上げることとします。

なおいつもの但し書きになりますが、本記事は筆者が各種書籍や動画等を参照し、独自に編成を書き出して紹介するもので、特に考察内容については誤り・勘違い等を含む可能性がありますことをご理解ください。

「海峡」に運用された14系

14系車両配置の変遷(スハフ14)

14系車両配置の変遷(オハ14)

これらの画像はJR北海道所属の14系の車両配置と形態の移り変わりを可視化したもので、緑色が札幌、青色が函館を表わしています。

これについての詳細は、過去に解説記事を出しているのでそちらをご参照いただくとして、ここでお伝えしたいのは、「当初は全車が札幌所属」「徐々に函館配置車が増えていき、海峡廃止時はほとんどが函館所属」ということです。

さきほどの14系編成の種類分けを行ったときに、「函館“常駐”車」と表記したのはこのためで、時代によって所属と運用起点の関係が若干変わることになります。(深く理解されたい方でなければあまり考えなくても大丈夫です)

また、定期14系運用はその全てが青森~札幌間の急行「はまなす」の間合い運用として運転されたことから、急行「はまなす」の編成記録も快速「海峡」の編成に直結しますので、今回はそちらも研究対象としました。

さて前置きはこのくらいにして、実際の編成例を見ていきましょう。

年代別にみる14系「海峡」の編成

50系編成の記事の際にもご紹介しましたが、編成記事を書くに当たっては個人サイトやYouTubeの動画を大いに参考にさせてもらった他、書籍としては1990年以降J・R・Rより毎年刊行される『気動車客車編成表』や、今年の冬に鉄道ピクトリアル誌の別冊として発売された『国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』などを主に参考としました。

またYouTubeについては、当時の映像を数多くアップロードされているmatuno kura様に特別にご協力をいただき、高解像度版のデータを撮影日・列車名付きでご提供いただきました。

14系充当列車は50系と比較して絶対数が少ないため編成例が集まらないことを覚悟していましたが、これら資料を参照できたためかなりの数が集まりました。今回はそのうち運転開始(1988年)から1996年までの編成を整理して紹介します・

1988年頃の編成記録

1988年頃の14系快速「海峡」

凡例については説明不要かと思いますが、列車の進行方向にかかわらず左を函館方・右を青森方として固定し、牽引機については省略しています。

今回区別するのはスハフ・オハの2車種と、スハフ車の向きです。車番については省略しています。ちなみに「はまなす「海峡」への充当は、スハフ車に限っては青函トンネル通過対応改造が必要で、1988年3月の運転開始時点では501,502,503,504,505,507,556,557の計8両が改造済み、その後同年10~12月に506,508,509,551,555が追加改造され計13両が対応車となっています。

【図1-1】出典:『JR 気動車客車情報 88年版』

先ほど紹介した『気動車客車編成表』誌の前身に当たる『気動車客車情報』誌掲載の編成で、特定日の編成ではなく標準的な編成の例が掲載されています。

編成は両端にスハフ、中間にオハを連結したシンプルな5両編成で、繁忙期以外はこの編成で運転されていたものと思われます。

【図1-2~4】出典:『鉄道ファン』1988年6月号(通巻326号)p.62
【図1-5】出典:『鉄道ピクトリアル別冊』p.76*1

図1-2から-5までは1988年3月13日の開業初日の編成記録となります。

図1-2は定期14系運用で、所定5両編成のところ、5両を増結した10両編成での運転です。青森方スハフが「増1」号車となっているのは、この車両が海底駅見学者専用車であったためで、この専用車を「増1」号車とする扱いは1988年度のみ見られた姿です。

当時は1号から16号までの「海峡」8往復のうち、下り3・13号/上り10・16号が14系運用で、前日夜に上り急行「はまなす」として出発した車両が翌朝に青森に到着、そこから3→10→13→16号と運用された後、青森から下り「はまなす」として札幌に向かうのが一連の運用となっています。

ただし繁忙期については、旅客需要と車両供給のバランスを考えて、運用途中に函館で編成の増解結が行われていたことが知られており、その増解結作業は「海峡」の折返し間合いだけではなく、「はまなす」が夜間に函館に停車した際にも行われています。

それを踏まえて図1-3以降をご覧いただきましょう。まず図1-3ですが、こちらは同日夜に青森を出る下り「はまなす」で、車番の記載はしませんでしたが図1-2と完全に同一の編成を組んでいます。ただこの日のこの列車では一つのエピソードが残されていて、実はこの10両のうち青森方1~5号車は函館で解結予定であったところ、その案内をJR東日本側が怠った(認識していなかった?)ために急遽終点札幌まで10両全車を運用したとのこと。繁忙期ともなればそんな余裕はないわけですが、改正日は「海峡」以外に車両増結を実施しておらず、たまたま運用に余裕があったのでしょう。

そして同日、反対に札幌を発車して青森へ向かった上り「はまなす」の編成が図1-4ですが、青森方5両には「増1〜5」の号車番号が振られています。これら増結5両は札幌から連結されていたものではなく、未明に停車する函館で連結されたものです。つまり、札幌を1〜5号車の5両編成で出発し、途中の函館で5両を増結、10両編成になって翌朝の青森に到着したということになります。

さて、長らく同日の編成については図1-2〜4のように鉄道ファン誌に掲載の編成しかわからなかったのですが、最近発売の鉄道ピクトリアル別冊によってもう1編成が明らかになりました。それが図1-5で、同日の海峡8号の編成です。

以前の記事で、この日の50系編成が4運用中2運用が10両編成を組んでいたことから、50系運用のうち1運用は他形式で代走されていたはずであるという話をしました。海峡8号はまさに本来50系が充当されるべき列車ですので、見込み通り14系で運用されていたことが証明されました。しかし、その編成はとても不思議なものが組成されています。

図1-5を見ていただくとわかりますが、両端スハフを除いた中間の8両全てがオハになっています。一般に北海道用の14系は、暖房能力などの強化のため、スハフの給電能力が自車を含めた4両までであるとされていますが、この編成記録ですと明らかにスハフ1両が自車含めた5両に対して給電しているようです。

3月13日ですから厳冬期は脱しているとはいえ、北海道の冬はまだまだ寒いものと思われますが、電気は足りていたのでしょうか。それとも4両給電という話が誤りで、冬季でも5両まで問題なく給電できたのでしょうか。

また、車番を細かく見てみると、図1-5の編成のうち青森方の5両(1〜5号車)と、図1-4で函館から増結したとされる5両(増1〜5号車)は同じ番号の車両でした。8号と折り返しの11号に充当された同編成が、函館入庫後に編成を半分に切り離して待機、未明の上り「はまなす」増結に用いられたものですが、もし下り「はまなす」のハプニングがなく予定通りに切り離しが行われていたら、上り「はまなす」の増結車には違う車両が充当されていたかもしれません。

1989年頃の編成記録

1989年頃の14系快速「海峡」

運転開始から1年が経過した1989年3月から、号車の付番が逆転しており、函館方を1号車とするよう改められています。また、上り列車のうち海底駅見学車両が存在する場合は青森方が12号車で固定されるようになっています。

【図2-1】出典:『JR気動車客車情報 89年版』

組成上の大原則が改められたこの改正以降、少なくとも号車番号の付番方法についてはこの後「海峡」廃止まで(さらには「はまなす」廃止まで)変化ありません。函館方が1号車ということは覚えておいて損は無いでしょう。ちなみに「北斗星」においてもこの改正から廃止まで函館方が1号車で統一されています。

さて、「青函ブーム」の到来で常に一定数の需要があったことから、この頃は基本編成を7両としています。50系編成の記事で度々説明をしていますが、原則として「海峡」の編成は函館方に「基本編成」、青森方に「増結車」を配置して適宜車両数を増減させて調整する方法を用いていますので、14系でも函館方7両が固定・青森方に増結車を連結……と思ってしまいがちですが、実は14系はそう簡単にはいかないようです。

【図2-2】出典:『鉄道ピクトリアル別冊』p.76*2

というのも、図2-2は「はまなす」の編成ですが明らかに基本編成が7両ではなく8両編成を組んでいます。全部で11両の編成ですが、7両の基本編成に4両を増結するのではなく、基本編成中に1両を加えた8両編成に3両編成を繋いだもので、この3両は運用途中に函館に来たいずれかのタイミングで増結・解結を行っていたものでしょう。8両編成で走行した時もあったものと思われます。

1989年となればまだまだ14系の配置に余裕が無い頃ですので、少ない車両数を需要に合わせて効率よく運用するために、さまざまな編成が組まれていたものと思われます。編成例がまだ少ないため全容は知れませんが、そのような運用も存在したという良い記録です。

1990年頃の編成記録

1990年頃の14系快速「海峡」

【図3-1】出典:『JR気動車客車編成表90年版』

さて前年まで『気動車客車情報』として刊行されていた書籍がこの年から『気動車客車編成表』に改められ、特定日(概ね4/1)の車番付き編成記録を掲載するようになりました。ここに上げたものも1990年4月1日の実際の編成記録から作成したものです。車番は省略していますが3・10・13・16号の全てが同じ車番の編成で組まれており、それらが1連の運用になっていたことがわかります。号数によって異なっているのが指定席の位置と号車番号で、海底駅見学車両の設定がある下り3号と上り10号の指定席が計3両、それ以外の列車では2両の設定となっています。

【図3-2】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

客車急行特集号の『鉄ピク』誌ではまなすの編成に関する記事がありました。5月5日ということで最大12両への増結が実施されています。

1~7号車の基本編成に対して8号車以降の増結車を連結した編成と解釈できます。11号車、12号車とスハフが連続しているのは50系編成にも見られた姿で、車両数調整の都合で1両のみ切離しが行われたりしていたのではないかと思います。

この記事の特徴として、車番と号車番号のほか車両の所属が明記されており、9・10号車のオハ14が函館車であったと記録されています。こういう運用があるとは、これだから客車の編成は面白いのです。

1991年頃の編成記録

1991年頃の14系快速「海峡」

【図4-1】出典:『JR気動車客車編成表91年版』

1990年に7両に増強された基本編成ですが、1991年4月のこの時点では6両に減車されています。この減車タイミングを確定できるソースをまだ得られていないのですが、おそらく91年3月改正からと考えて良いでしょう。

定期「海峡」の運転本数に変更は無いようですが、充当形式が変更されており、図にあるように14系は1・6・9・14号に改められています。1号への14系充当はこの後1999年改正まで続きます。

通常期の指定席位置等は図の通りで、前年のものから自由席が1両減った以外に変更は無さそうです。

【図4-2~3】出典:『鉄道ピクトリアル別冊』p.76*3

下2つは鉄ピク別冊から、同年8月の増結事例です。

この年の7月から、「はまなす」に寝台車が1両連結されるようになりました。スハネフの落成は12月なので、それまでの期間はスハフが連結されています。「海峡」としての運用時はこの函館方2両を切離し、座席車のみの編成を組みます。

いずれも青森方に4両を増結した10両編成で、「はまなす」に寝台車を含む2両を連結すると最長の12両編成となります。この場合「海峡」としては10両までしか連結できないことになりますが、2往復のうち6→9号だけは、函館を起点に増結しようと思えば追加で2両増結することができます。(この時期に実際にそのような事例があったかはわかりません)

1992~3年頃の編成記録

1992~93年頃の14系快速「海峡」

【図5-1】出典:『JR気動車客車編成表92年版』
【図5-2】出典:『JR気動車客車編成表93年版』

92年から93年にかけては変化が少なく資料もないのでまとめてご紹介。基本編成はついに5両まで減車されており、定期14系運用(「はまなす」間合い)としてはこれが最短の編成です。

なおこれらは4月1日の編成記録ですが、数ヶ月後の93年GW後から(詳しい日付は失念しました。資料を見つけ次第追記します)、急行「まりも」に連結されていた「ドリームカー」が転用され連結を開始しています。

【図5-3】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

『鉄ピク』誌から、スハネフを含む寝台車2両が連結された「はまなす」の編成です。本文に「既にドリームカーの連結が開始されていた時期だが、このように連結されない日もあった」という旨の記述があります。検査等の都合か、あるいは団臨等に使用されていたのかはわかりませんが、結果として連結開始前のような編成になっています。実例を出せていませんが、スハネフの連結を開始した1991年12月から、ドリームカー連結開始の1993年5月頃まではこの図のような編成が組まれていたと考えてよいでしょう。

1994年頃の編成記録

1994年頃の14系快速「海峡」

【図6-1~5】出典:『JR気動車客車編成表94年版』

編成中に「ドリームカー」が連結された最初の記録がこちらですが、前述のように連結開始は93年のGW後なので1年近くが経過しています。これらの編成は『編成表』誌のもので、あえて4列車を分けて載せたのには理由があり、よく見ると禁煙車の位置が列車によって異なっています。理由は不明です。

また、おそらく94年改正から、ドリームカーは必ず指定席に充当されるようになっているようです。

【図6-6】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

こちらは『鉄ピク』誌掲載の変わり種。カートレイン等の臨時列車運転時、送り込みと返却を「はまなす」併結で行うことがあり、このように寝台車や電源車が数両連結されていることがありました。この日の編成は誌面の解説によると団体列車の返却回送とのこと。カートレインもある意味団体列車ですが、ここではどちらの意味で書かれているのかはわかりません。

このような編成が組まれた際は、電源車に続いて寝台車が5両も続く堂々たる編成になり、さぞ見応えがあったものだろうと思うところです。

【図6-7】matuno kura様ご提供*4

最後にmatuno kura様動画から。編成内容は『編成表』誌のものとほぼ同一ですが、こちらは動画が出典でYouTubeにアップロードされていますので、ご覧頂くと「MARIMO」ロゴ入りのドリームカーが連結されていることがわかります。

1995年頃の編成記録

1995年頃の14系快速「海峡」

【図7-1~2】出典:『JR気動車客車編成表95年版』

『編成表』誌の編成は前年とほとんど変化ありません。次に編成に変化が出るのは97年の「カーペットカー」連結時となりますが、実際にはそれより前に「ドリームカー」の「MARIMO」ロゴが消されるタイミングあります。いつのことなのか正確にはわかりませんが、95年の年末の写真で2両ともロゴが付いているものを見たことがありますので、それ以降に消されたものと思われます。おそらく96年春まではもたなかったでしょう。

【図7-3】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

またまた『鉄ピク』から。上の図7-2の2日前の編成ですが、それとは異なり編成中にオハが1両増結された8両編成で運転されています。

ちなみに2日違いの編成記録となると、単純に車両が往復しているのであれば同一の編成になりそうなものですが、図7-2とは1両も車番が一致しませんでした。どこかのタイミングで編成をまるごと差し替えたようですが、この場合ドリームカーが不足してしまうので、3月31日の編成は一般車で代走されたのでしょうか。

【図7-4】So What?様ツイート*5より許可を得て掲載

この期間は変わり映えがしないということで、1件変わり種をご紹介します。「はまなす」が奥羽本線経由・秋田発着で延長運転された際の青森~秋田間の編成で、秋田以北の定期列車区間では図中に白く表記したような形で運転されており、上り列車であれば青森で寝台車を含む4両編成を切離して秋田まで運転されたものです。日中はもちろん「海峡」として運転されるので、秋田編成にも「海峡」運用にも、どちらも単独の編成として運用して支障がないような形で編成が組まれました。

この秋田延長は比較的長期にわたって設定されたようで、年によって寝台車の両数に違いがあるなど見所があります。いずれこれのみに焦点を絞った記事を書いても面白いかもしれませんが、せっかくなので今回はこの1件だけ紹介させていただきます。

https://twitter.com/SoWhatIUjM/status/332095079953088515?s=20&t=tutmJPNlY5DCs9YFH2bW0whttps://twitter.com/SoWhatIUjM/status/332095079953088515?s=20&t=tutmJPNlY5DCs9YFH2bW0whttps://twitter.com/SoWhatIUjM/status/332095079953088515?s=20&t=tutmJPNlY5DCs9YFH2bW0w

1996年頃の編成記録

1996年頃の14系快速「海峡」(その1)

【図8-1~2】出典:『JR気動車客車編成表96年版』

『編成表』誌から基本編成の紹介です。特に変化はありません。

この年は以上、というわけではなく、おなじみmatuno kura様からいただいた資料に面白いものがあったので次の図でご紹介しましょう。

1996年頃の14系快速「海峡」(その2)

【図9-1~6】matuno kura様ご提供*6

まず図9-1は下りはまなすの編成。本題とは外れますが、連結されていたオハネ車がオハネ25形100番代車(オハネ25 240)だったのが目を引きました。この後1997年に個室車に改造され「はまなす」には連結されなくなってしまう車両です。

図9-2から-5までは同日の海峡線を撮影された動画から。真ん中の2つ、6・9号は定期14系運用で、ドリームカーを連結した「はまなす」間合い編成であることがわかります。

問題はその上下、5号と12号の編成です。図中青色で色分けを行ったこれは何かと言うと、函館所属車による定期50系運用の代走です。

当記事冒頭でも触れましたが、14系「海峡」には「はまなす」間合いのほかに函館を起点とする代走や増結運用が存在します。1996年の函館にはスハフ14が6両、オハ14が15両の計21両が配置されており、多客期の50系運用の代走や臨時列車、定期列車の増結などに使用されていたと考えられます。

このうち図9-2の5号は4両編成を組んでおりますが、14系が4両編成を組んでいた時期は存在しないので、代走運用か臨時列車でしか見ることができない姿です。

そして図9-5の12号では8両編成が組まれていますが、このうち1~4号車は図9-2と同一の車両です。つまり函館で増結を行ったということで、これこそが函館で柔軟に車両を増解結している証拠として考えていただければと思います。

ちなみにこの日の50系編成(当シリーズ「その3」に編成図があります)を見ても、50系だけで50系運用を賄えないほど50系が運用されているようには見えないのですが、走行距離の関係など何らかの調整のために運用されたのではないでしょうか。

最後に図9-6ですが、これは同日に札幌を出る上り「はまなす」なので、図9-3などとは別の編成ですが、基本編成に増結編成を繋ぐ形ではなく、基本編成の中にオハ車を組み込む形で増結が行われています。このような方法の増結がいつ頃まで行われていたのか、というところもまだ明らかになっておらず、もう少し資料を集めたいところです。

おわりに

というわけで、1988年から1996年頃までの「海峡」はまなす」の編成記録から、当時の運用方法を推測する、ということをやってみました。今回はTOMIXから14系「海峡」セットと銘打ったNゲージ製品が発売されるということで、発売に間に合わせるべく急いで執筆したため、手持ちの資料にも抜けがありそうです。見つけ次第後から追記するか、改めて記事を作成して補完する予定です。

今回掲載できなかった1997年以降の編成についても近く公開したいところです。特にドラえもんラッピングが開始される1998年以降は資料が格段に増えますので、色々なパターンを紹介できるのではないかと思います。

今回編成資料の公開を快く承諾くださいました、matuno kura様とSo What?様、商業誌への資料掲載情報を教えてくださったひろぽん様、またいつもTwitter等で情報をくださる皆さまにこの場を借りてお礼を申し上げます。

今回は急ぎで記事を作成したため、情報をいただいていたにも関わらず掲載していないということがあるかもしれません。もし「あの時連絡したアレは?」というようなことがありましたら、ぜひご一報ください。

他にも何かお手元に資料をお持ちの方、あるいは書籍等への掲載情報等ご存じの方がいらっしゃいましたら、コメントまたはTwitterなどへお知らせいただけますと、大変嬉しく存じます。

あまり網羅的な資料の存在しないマイナーな列車ではありますが、今回模型製品の発売があるなど注目されつつありますので、この機会にぜひ情報を共有してまいりたく存じます。皆さまのご協力を、よろしくお願いいたします。

*1:『鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』所収「14系寝台・座席客車の編成記録」(千代村資夫・秋元克広・平石大貴 著)

*2:『鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』所収「14系寝台・座席客車の編成記録」(千代村資夫・秋元克広・平石大貴 著)

*3:『鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』所収「14系寝台・座席客車の編成記録」(千代村資夫・秋元克広・平石大貴 著)

*4:(非HD)「C62 3」の回送を札幌駅で待った - YouTube

*5:So What? ◆SoWhatIUjM on Twitter: "んで9月8日の秋田発急行はまなすの編成がHM付きED75 753+スハフ14 506+オハ14 513+オハネフ25 2+スハネフ14 552 コレは95年と記載された編成記録の後なのでその年で間違いないはずなのですけれども、人前で走らせたら何かがたくさん釣れそうな編成ですなあw"

*6:(非HD)思い出の海峡線のランナー - YouTube