新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その10)

机上研究です。

 

まもなくTOMIXから50系5000番代車の発売があるということで、需要がありそうな開業初期の編成例をまとめました。当ブログ初出の編成もあります。

 

目次

はじめに

一昨年から不定期で、「快速海峡の編成について」と称して、かつて津軽海峡線で運行されていた快速「海峡」の編成考察を行っています。私自身は運行当時の乗車経験がないため、ネット上の記事や動画、雑誌や書籍等の資料をかき集めて、「当時の編成パターンを推測する」ということを行っております。

ここに掲載されている情報や私の考察は、誤りや勘違い等を多分に含む可能性がありますことをご承知いただき、よろしければ当記事シリーズ「その1」から順にお読みいただきますと、この快速「海峡」という列車についてよくおわかりいただけるかと存じます。

今回はTOMIX製品発売ということもありますので、できるだけ本記事(その10)のみで開業から1990年頃までの編成についておわかり頂けるように努めて執筆いたします。

 

おさらい

50系「快速海峡」編成を模型で再現する上で前提となる知識の確認です。当シリーズをよくお読みいただいている方は飛ばしていただいてかまいません。

 

使用車両

快速「海峡」はレッドトレインとも呼称された、国鉄50系客車をベースに快速「海峡」用の改造を施した50系50形5000番代、および追加改造にて用意された北海道用50系51形5000番代の両者を使用して組成される「50系編成」と、国鉄時代に道内急行用として本州向け14系座席車から改造された14系500番代車を使用して組成される「14系編成」の2種類に大別されます。今回はこのうち「50系編成」について取り扱います。

快速「海峡」は1988年3月の青函トンネル開通、及び津軽海峡線開業に伴って運転開始されました。開業当初の「海峡」用50系は、車掌室とトイレ設備を備えるオハフ50形16両と、中間車として使用するオハ50形15両の2車種のみ計31両にて運用されましたが、開業ブームにより当初の想定以上の利用があったことから、急遽道内用51形からオハ51形4両及びオハフ51形4両の計8両を追加改造しており、最終的に合わせて39両の布陣となりました。

その後、利用者が徐々に減少する中で需要喚起のためさまざまな取り組みがなされ、カーペットカー、カラオケカー、ドラえもんカーといった個性的な車両が改造によって登場しています。

この度TOMIXから発売される製品は通常のオハフ50形とオハ50形からなるセット構成になっているため、それら「変わり種」の含まない車両で組成できる、運転期間のうち前半(1988年3月~1997年3月頃)が再現できる年代になろうかと思います。

ただし、この期間中にも軽微な外見変化(自動販売機搭載に伴う一部車両の窓埋め)や、長編成になると高確率で51形車が混入するといった理由から、製品のまま再現できるのはさらに短い期間(1988年〜1991年頃)ということになります。

年代ごとの編成両数と車両形態の変化

このあたりの詳細は過去記事にて取り扱っていますので、そちらをご覧いただきたいと思います。

牽引機について

快速「海峡」運転開始当時、青函トンネルを通過可能な機関車は「ED79形」のみでした。後に改造によって「ED76形551号機」が追加されています。

ED79形には0番代・100番代・50番代が存在しますが、このうち快速「海峡」に使用されるのは0番代のみで、100番代・50番代は原則として貨物列車にしか使用されません。ただし、運用上の都合によって50番代車による代走事例があります。また、同様に運用上の都合から重連牽引となる場合があり、0番代と50番代の両車を連結した重連運用も事例として存在しているようです。

ED76形551号機は道内用500番代車を改造し青函トンネル通過可能としたもので、1機のみが配置されました。ED79形とは車体長が異なるため、停車駅での停止位置に特別の配慮をする必要があることから快速「海峡」への充当は敬遠されたとの説が一般的ですが、実際にはED76運用末期まで臨時「海峡」などを中心に快速「海峡」への充当事例が存在しています。

いずれの形式においても、使用されるパンタグラフは(不具合等があった場合を除いて)函館方のパンタグラフを使用するよう固定されていました。また、機関車の向きは原則方転することはなく、常に一定の向きで使用されていたことを補足しておきます。

組成パターンについて

快速「海峡」は客車列車のため、1両単位で細かく編成を組み替えることができます。「海峡」は特に繁忙期と閑散期の需要の差が激しかったこともあり、最長で12両の長編成を組むこともあれば、需要が低迷した年代の閑散期には最短3両の編成が確認されています。

「車端にオハフを連結する」以外の制約がない50系ですが、実際の編成例を見てみると多少の「パターン」が存在するようです。それを表わしたのが下の表です。

快速「海峡」編成の原則

つまり、函館方には「基本編成」とも呼ぶべき最小構成の編成が組める車両ユニット(年代により両数は変わります)があり、需要が多い時期や列車は青森方に適宜増結を行うといったパターンです。増結車両は主に函館側で連結・切離しを行って輸送量の調節を行っていました。

なおここで言う「基本編成」「増結編成(増結車)」という呼称は独自のものです。また、電車のように固定編成を組んでいたという意味ではないということを、念のため申し添えておきます。

快速「海峡」運転初期の編成

さて、お待たせしました。ここからが本題となります。

「海峡」の編成例については、過去に当シリーズ「その3」から「その5」にかけて紹介済みですが、記事公開後に確認できた資料を加えて、もう一度整理しなおしてみたいと思います。

1988年度の快速「海峡」

1988年3月13日に運転を開始した快速「海峡」ですが、当時の編成は、その後1989年度以降のものと比較すると、いくつかの点で異なっています。

1988年度の編成の特徴

・基本編成は5両(89年度から90年度まで7両)

・増結時は最長11両(89年度から12両)

・青森方が1号車(89年度から逆転)

・海底駅見学車両は青森方「増」号車

この点を踏まえて、編成例を見ていきましょう。

1988年3月13日 開業一番列車(海峡1・2号)

【凡例】オレンジ色で示したものがオハフ50、灰色がオハ50です。「指」とは指定席車を示します。編成は左側を函館、右側を青森として統一しています。車両の上の数字は号車番号です。

【図1】出典:『鉄道ファン』1988年6月号(通巻326号)p.62*1

こちらは鉄道ファン誌に掲載された、青函トンネル開業初日の編成です。「ひろぽん」様より情報をいただきました。ひろぽん様、ありがとうございます。

さて図1-1は初日の「海峡1号」の編成で、この日に開業した青函トンネルを旅客列車として最初に運転される「下り1番列車」で、参照元の記事には運輸大臣を招いての盛大な出発式が執り行われたことが記されています。この編成は早朝に函館から送り込まれたもので、その送り込み編成には送り込み手順上の都合からED79三重連で運転されたそうです。

さて、この「海峡1号」の編成は、私が手元に控えている資料の中では他に例を見ない、独特の編成が組まれています。セオリー通り解釈するとなれば、函館方10~4号車の7両が基本編成、3~1号車の3両が増結車となるところですが、1988年の基本編成は所定5両となっていますので、辻褄が合わなくなってしまいます。

初日ということもありますので、何らかの運用上の都合があってこのような編成を組んだということなのでしょうか。とても気になるところです。

図1-2は同日函館発の上り「海峡2号」。こちらは「海峡」より先行して特急の「はつかり10号」が設定されているため、「上り1番列車」ではありません。1号と同様に10両編成での運転ですが、1号では8号車にオハフが連結されているのに対し、2号では6号車となっているなど、微妙な相違があります。この編成だけれ見れば、函館方10~6号車の5両を基本編成と見なすことができますが、前述の1号と並べてみると、やはり4号車までを含めた7両が基本編成であったと解釈するのが妥当なのかもしれません。

ちなみに、この時点での50系運用は4運用存在し、かつ51形からの改造車は登場していない時期になるので、使用可能な車両は31両しかありません。おそらく、1運用は別形式での代走として、3運用をそれぞれ10両ずつの編成で運用したのではないでしょうか。

 

1988年7月 海峡12号

【図2】出典:ブログ「つばめバス資料倉庫*2」様

過去に2度も引用させていただいている資料で、7月23日の「海峡12号」の編成が車番から記録されています。

1988年に運転可能な最長11両の編成が組成されており、このうち函館方11~7号車の5両が基本編成、青森方6~1号車が増結車とみて良いでしょう。

特筆すべきはやはり目を引く非冷房車の存在です。オハ51形からの暫定改造車で、塗装こそ揃えられたものの、車内は非冷房・ボックスシートのままで窓まで開くという、普通列車用「レッドトレイン」時代の装備のまま運用されています。このオハ51形の連結位置についての考察は、編成例をもう1例見てから行うことにします。

今回TOMIXから発売された車両は50形冷房車のみですので、もちろん製品のままこの通りの編成を組むことはできませんが、非冷房車がこの位置に固定運用されていたわけではないと考えていますので、通常のオハ50形で代用しても問題ないでしょう。

 

1988年8月 海峡7・8号

【図3】出典:車内放送録音(matuno kura様提供)

当ブログのこの海峡シリーズの記事では、編成内容の特定のためYouTube動画を大いに参考にさせていただいていますが、中でもmatuno kura様という方の投稿動画は質・量ともに素晴らしい資料として毎度参考にさせていただいており、当シリーズの「その3」「その4」などをご覧頂くと、出典欄にこの方の動画ばかりが列挙されているのがおわかり頂けます。

そんなmatuno kura様ですが、今回個人的に連絡を取らせていただいたところ、ご自身が撮影し保存されている膨大な撮影データから、「海峡」はまなす」関連のものを抜き出してお送りくださいました。YouTubeの画質からは判断できなかった部分が明らかになることが機待でき、大変ありがたいところです。

その頂いたデータの中に、1988年に乗車された際の車内放送を録音したものがありましたので、いつもの編成表の形式にして公開させていただきます。

前置きが長くなってしまいました。図3-1は1988年8月10日の「海峡7号」の放送から聞き取りによるもので、図2と同様に当時最長の11両編成が組成されており、オハフの位置も完全に揃っています。図2と指定席車の位置が異なる程度です。

個人的に重要視しているのは図3-2で、こちらは1988年8月17日の「海峡8号」です。放送内容から5号車には青函トンネル内で動作する位置表示器が装備されていないことがわかりましたので、5号車が非冷房車だろうと推測できます。もしかしたら図3-1にも非冷房車が連結されているかもしれませんが、放送からは判断できませんでした。

さて、図2と図3-2を見比べていただくと、どちらもほとんど同一の組成ですが、非冷房車が図2では6号車に、図3-2では5号車に連結されているという違いがあります。

非冷房車を編成に組み込むにあたって、もちろんシステム上はどの位置に組み込んでも問題ないのですが、おそらく指定席車に充当される個所には極力冷房車を連結したはずですし、また編成が短い時(運用車両数に余裕がある時)には極力非冷房車を運用しないように考えていたと推測できます。すると、指定席車に指定されやすい編成両端部を避けた、増結編成の函館側に連結するのが自然な流れではないでしょうか。

となれば、「非冷房車を連結可能な位置」というのが11両編成時の5・6号車あたりに設定されていて、その時の車両運用次第でその位置に非冷房車だったり冷房車だったりがランダムで入る……そんな運用が想像できます。

そして傍証となる編成を、読者の方からご提供いただけました。

1988年8月 海峡83号

【図4】出典:乗車記録(R-14様ご提供)

当シリーズ「その3」へのコメントで情報をいただきました。1988年8月9日乗車で、号数不明とのことでしたが運転時刻が明記されていましたので号数が特定できました。函館で札幌行き快速「ミッドナイト」に接続する臨時列車の「海峡83号」と思われます。臨時列車ではありますが、運転時刻から推測するに、運用としては定期「海峡14号」の折返し列車であったと考えられます。

この編成で特筆すべきは、まず非冷房車2両組み込みの11両編成で、しかも5・6号車に連結されていること、そして3号車がオハ車であることです。

もちろん誤記の可能性が無いとは申しませんが、青森方の増結車にオハが5両連続という他の記録に例を見ない編成をしています。中間がオハであろうとオハフであろうと特に関係なかったことが窺えるのではないかと思います。

1989年度の快速「海峡」

前述したように、1989年3月改正から「海峡」の編成ルールが大きく変更されています。

1989年度(以降)の編成の特徴

・基本編成が7両に増加(91年3月?まで)

・最長12両編成が組成可能に

・函館方が1号車(車両自体の向きに変更はなし)

・海底駅見学車両は下り1号車・上り12号車に固定

このルールをもとに編成を見ていきましょう。 

1989年12月~90年1月 海峡7・8号

【図5】出典:YouTube動画*3

同じくmatuno kura様の動画から。YouTubeに上げられているものになります。図5-1は1989年12月30日の「海峡7号」、図5-2は1990年1月7日の「海峡8号」です。

前述のように基本編成が7両に変更されておりますので、函館方1~7号車の7両が基本編成、青森方8~10(または12)号車の3両が増結車ということになろうかと思います。

この頃は51形からの改造車のうち、オハ51形は4両全車が改造を終えており、オハフ51形4両の改造が進められていた頃です。Wikipediaからオハフ51形の改造日を拝見すると、この編成の記録日である12月30日の時点でオハフ51形は3両目まで落成していたようです。冷房化(5000番代化)が完了すれば50形と区別なく使用することができますので、この編成中にも数両程度連結されていたかもしれません。

この時点で運用可能な車両は50系全体で39両ほど*4です。「海峡」50系運用である4運用すべてを10両編成で運行しようとすると40両必要になってしまいますが、利用の少ない列車を7~9両で運転可能であれば、他形式での代走を行うことなく全運用を50系で賄うことができます。

1989年8月 海峡4号

【図6】出典:YouTube動画*5

こちらは別の方の動画から、1989年8月某日の「海峡4号」の車内放送の聞き取りから編成表に起こしたもので、最長12両編成が組成されています。やはり7号車までが基本編成で、8号車以降が増結車でしょう。

度々書いていることですが、この編成のように青森方にオハフが2~3両連続するパターンをよく見かけます。途中駅のドア扱いの都合なのか、増解結の関係なのかはわかりませんが、模型編成を組む際にぜひ意識したいポイントの1つです。

おわりに

今回はNゲージユーザー待望のTOMIX製快速海峡発売ということで、初期の編成例をまとめてみました。以前に記事を公開した際は、開業当初のこの時期の編成資料が少なく考察と呼べるものは何もできなかったのですが、その後皆さまのご協力によりある程度の数を並べて比較することができました。この場を借りてお礼申し上げます。

発売されたTOMIX製品を2セット使って初期の編成を再現されたいという方は、よろしけれご参考にしていただけますと幸いです。図中の非冷房車の部分は、冷房車に差し替えて運用しても問題ないと思います。

1990年以降の編成に興味のある方は、当シリーズ「その3」から順にお読みいただけますと、多少おわかりいただけるのではないかと存じます。

これらのような編成記録をはじめ、快速「海峡」の資料は今後も収集してまいりますので、お手元に資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントやTwitterなどでお知らせいただけますと幸いです。

 

 

追記:そろそろ14系の編成をまとめねばと思ってます。TOMIXから出る前に……

*1:「63.3.13移り変わりのすべて 青函連絡船青函トンネル」伊藤久已著

*2:民営化当初の優等列車等編成記録(12)快速「海峡12号」: つばめバス資料倉庫

*3:図4-1:(SD)海峡7号右窓車窓 - YouTube

図4-2:(非HD)函館駅と快速「海峡号」車内アナウンス - YouTube

*4:オハフ51 5004の落成は1990年1月26日とあるので、この1両のみ非冷房車であったか、もしくは改造入場中であったと推測できます。

*5:【車内放送】快速海峡4号(50系 旧式ハイケンス 函館発車後~青函トンネル案内) - YouTube