【旅行記】初訪台で普快車に乗る(その1)
このところ模型を弄れていないので、今回は気分を変えて、過去の旅行記でも書いてみます。
2018年夏。かねてより台湾には行ってみたいと思っていたのですが、私の好きなアーティストさんがライブツアーの締めくくりに台湾及び上海の海外公演を追加で行うことを発表しました。ファンクラブからは往復の飛行機や会場への送迎、宿泊などがセットになった公式訪台ツアーの募集がありましたが、内容的にかなり割高でした。自主手配ではあればその半額で行けると見込んで公式ツアーの参加は見送り、ダメ元で現地の販売サイトを除いたところうっかりチケットが取れてしまったため、初の台湾訪問が決まったという次第です。
海外旅行の経験は、高校の修学旅行でグアムに行ったのと、大学の隣の研究室が中国に調査旅行に出向くのについでに連れて行ってもらったのみで、自力で手配し単独行をするのは初めてでした。当初は1人で行くつもりで飛行機も1人分だけ確保してあったのですが、「せっかくの機会だから連れてって」と、後から私の母と弟まで同行することになりました。
旅程はライブの前日朝に台北入りし、2日かけてのんびり台湾を1周しながら、非冷房の旧型客車が残る南迴線で旧型客車「普快車」への乗車を果たす……というのが、私の「鉄」的な目的でした。
2018年9月28日、早朝6時。羽田空港からPeachのMM859便で飛びます。
859便は5:55発だったんですが、この写真の撮影時刻は6:04でした。朝からさっそく30分ほど遅れていた模様。
LCCらしく非常に過密な運用が組まれていて、深夜に韓国かどこかから飛んできた便の折返しだったかと思います。
景色は良く、富士山らしき山が綺麗に見えました。搭乗機はJA819P。
桃園に着いてからの写真がないんですが、桃園から松山にバス移動の上で国内線に乗り継ぎました。
台北には空港が2つあり、どちらも国際空港なのですが、伊丹と関空(羽田と成田?)的な感じで分かれています。松山空港は台北市街に近いので便利ですが、LCCなどは少し離れた桃園に発着しており移動の必要がありました。
立榮航空(UNI Air)8725便で台東空港へ。ATR 72-600という、定員70名程度のプロペラ機です。プロペラ機なんてもちろん初めて乗りましたが、なんというか路線バスが空を飛んでいるような印象でした。同行の母などはだいぶ怖がっていた模様。
今回同行した母と弟は、既に私がおおよその旅程を決めた後だったので、基本的に「私の旅行についてくる」というスタンスを取っていました。私は元々1人で来るつもりだったのですが、母と弟は初めての国で案内者がいないのは不安ということで、この翌日のライブの時以外はずっと同行していました。案内者がいないといっても、私も初めてなんですがね……。
この台北→台東という区間、鉄道だと自強号(特急列車)で4時間程度の距離で、本来そちらのつもりで計画していました。ただ、この後の普快車という「オンボロ」に乗る前から4時間の在来線で慣れない母と弟を疲弊させるのは避けたかったのと、かなり余裕のない旅程になりそうだったことから、この区間を国内線空路利用に変更したのでした。まあ、どちらが良かったのかはわかりませんが……。
おおよそ日本人なんて利用しないのであろう超ローカル空港な台東空港から台鐵の台東駅までは、ネットでは路線バスがあると書かれていたのですが、インフォメーションで尋ねると「タクシーに乗って」ということでした。
ところでこの空港のインフォメーションですが、私の「Where is the bus stop to TaiDong station?」に返答するのにGoogle翻訳を使って返答してくれました。私のカタコト英語を理解してくれたのに返答はGoogleに頼るあたり、英語理解度が並の日本人と同等レベルということに気がついて親近感が湧きました。
お世辞にも私は英語が堪能とは言えないので、あまり流暢に話されても困ってしまうんですよね。この旅行の間、ホテルや空港のカウンターなどを除けば殆どの場所でGoogle翻訳が活躍しました。台湾の客商売の方には、相手が外国人とわかると、サッとGoogle翻訳を取り出す習慣がついているようで、オロオロしたりすぐに逃げ出す日本人よりずっと好印象でした(何様なんだ)。
さてタクシーを捕まえるのですが、地方のタクシードライバーはこれまた英語が通じません。大学で中国語を習ったことがあったので「我想去台东车站(台東駅に行きたいです)」と北京語で話すことは出来たのですが、「車站(station)?ここも車站(taxi station)だよねガハハ」みたいな冗談を返されて、海外初心者の私はそれだけでわりとパニックになりかけていました。
幸いすぐに「火車站(train station)のことだよね?」と助け舟を出してくれ、さらには「チュッチュッチュッ」と汽車の真似までして、私の意図を汲んだことを示してくれたのでした。台湾で列車は「火車(Huǒchē)」といい、「列車」や「電車」という言い方はしないそうで、知識としてはあったのですが咄嗟に発音が出てきませんでした。今思えば、火車の発音が分からなくても台鐵と言えば通じたのにと悔やまれますが、結果的に通じたので良いでしょう。
海外タクシーにありがちなアクロバット走行を10分ど楽しむと、台東(Táidōng)駅に着きました。タクシーの運ちゃんはわざわざ駅の真正面の、この電光掲示板が見える場所に車を停めて、「ここでいいんだよね?」というように指差してニッコリしてくれました。
さて、ここでは切符を買わねばなりません。私はこの旅で「日式台湾時刻表」という日本の有志の方が同人誌として刊行している時刻表を持参していたのですが、この時刻表の巻末にこのような欄があり、乗りたい列車の列車番号や区間を記入して見せるだけで購入できるようになっていました。ただ、結局この欄を使ったのはこの時だけで、翌日からは慣れたので中国語でやりとりできました。
ひとまず無事に切符をゲット。お目当ての旧型客車である「普快車」を終点の枋寮(Fāngliáo)まで、そこから自強號(日本でいう特急)で高雄(Gāoxióng)まで行きます。
飛行機でワープしたおかげで1時間ほど早く到着できたので、のんびり待ちます。
台湾では列車を列車番号で表記することが一般的で、席の指定を取るときも「374列車を高雄まで」といった感じで伝えることになります。日本のように列車名を伝える必要がない分、数字と駅名だけ発音できれば良いので外国人にもハードルが低いです。
発車の10分前くらいにホームに上がりました。列車別改札ではなくそもそも自動改札なのでもっと早く上がっておけばよかったんですが、何せ知らない土地を動き回ることに不安があったので、人が沢山いる待合室にギリギリまで座っていました。
1B番線には既に、アメリカGM-EMD製の屈強な機関車が、日本のDD51を思わせるようなオレンジに白帯塗装で佇んでいました。
アメリカ大陸で長大貨物を牽引してそうなこの機関車が、わずか3両のボロ客車を牽引しているミスマッチ感もいい感じです。
客車はインド製TP32200形3両。この列車には日本製のSP32700形と混用で使用されることが知られており、編成中の1〜2両ながら、日本のオハ44のような旧型客車に乗れると人気でした。ただ、この頃は日本人を含む観光客が増加していて、手動扉の日本製客車が危険ということで当面使用停止になっていたらしく、自動扉装備のインド製のみが運用されていました。
このことを知らずに現地に赴いたので、日本製が編成に入っていないことに気づいて少し落胆していたのですが、インド製はインド製で味があるので良しとしました。
隣の線路には、台北方面に北上するEL牽引の莒光號(日本でいう急行列車)が停まっていました。さらに台北方からDLに牽かれて同じく莒光號客車が入線してきましたが、車内に誰も乗っていなかったので回送でしょう。夕方に南下する莒光號になる車両でしょうか。
こちらは動画からの切り抜きです。この列車の入線風景と、乗車した普快車の車窓は以前YouTubeに上げてあるので、よろしければそちらをご覧ください。
そういえば今までドタバタしていたので、ちゃんと昼食を摂っていませんでした。既に15時を過ぎていますが、ここで台東駅で買った弁当を食べましょう。
本当はいわゆる台鐵便當を食べたかったのですが、時間が合わなかったのか売ってなかったので、改札前のセブンイレブンで似たような弁当を買いました。75元、日本円で300円くらいです。
ところでインド製客車は自動扉装備ということなんですが……。駅で閉めたはずが、気がつくとこの扉だけ全開になっていました。
しばらくすると車掌さんがやってきてドアスイッチと格闘し始めましたが、その間にも列車は快調に飛ばし、大きな川を渡り始めてしまいました。日本なら走行中に扉が開いたとなれば即非常停止となるところですが、乗車たった数人の列車から転落があろうはずもなく、車掌さんも慣れた光景なのか橋上でもどこ吹く風とスイッチを弄っています。
そのうち諦めたように他の車両に帰って行き、しばらくすると勝手に閉まりました。
40分ほど走った金崙(Jīnlún)駅で、自強號との交換でしばらく停まりました。
この南迴線は非電化ローカル線ですが、台湾を1周する長大な本線の一部でもあり、駅の設備は各駅ともかなりしっかりとした作りです。
あまり古さを感じないのは、この区間の全線開通が1992年とかなり最近のことだからのようです。
機関車との連結部。日本のものによく似た自動連結器が使われていました。台湾に最初に高規格の鉄道を建設したのは日本統治時代なので、おそらく同一規格のものでしょう。もしかすると、ブレーキ管なんかも同じものを使ってるかもしれません。
奥に停まっていた保線車両?と一緒に。
しばらくすると対向のDC自強號が入ってきました。3連を3本繋いだ9両編成です。
台湾の車両で面白いのは、車掌が乗務員扉を使わないことです。なのでこのように車両の端であっても必ずしも乗務員扉があるとは限らず、こちらから見ると中間車と先頭車を繋いでいるように見えます。
自強號通過駅からの折返し需要なのか、はたまた今日中に台北に帰りたい趣味者だったのか、何人かがあちらへ乗り換えて行きました。この列車に残った、「あからさまに鉄オタっぽい行動を取る乗客」は私のほか、中国本土人ぽい人が1人だけでした。
この中国人オタクさん、途中で一度私に話しかけてくれたのですが、何を言ってるかわからず、残念ながら会話ができませんでした。英語は話せないようで……。「外国人(日本人以外)はみな英語が話せる」はただの偏見だということがよくわかります。
今思えば、他の台湾の皆さんのようにすぐにGoogle翻訳を取り出すべきでした。
長くなったので次回に続きます。