新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【旅行記】初訪台で普快車に乗る(その2)

前回の続きです。

 

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金崙駅で乗客が減ったので(といっても我々の乗っている前寄りの車両には元から誰も乗っていなかったのですが)、ここらで車内探検に行ってみます。


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まずは今乗っている車両。車番は40TPK32229。Kがつくのは緩急車だそうで、1・3両目がこのTPKになっています。

頭の「40」の意味が調べてもわからなかったのですが、おそらく重量等級的なものでしょう。


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オープンになっている車掌室(?)を除いてみると、手ブレーキやら配管やら。配電盤のマニュアルのようなものや、近隣の駅の連絡先といった貼り紙がありました。


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トイレ。日本では見かけない漢字が使われていますが、ピクトグラムの大切さがよくわかりますね。


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中を拝見。洋式と言っていいのでしょうか。


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最後尾まで行くと、後ろがよく見えました。施錠されており、日本の旧客みたくフルオープンになっていたりはしません。

そして、1・2両目には乗客の姿がほとんどなかったのですが、3両目まで来ると10人ほどの乗客がいました。どうやら、1両目は機関車の騒音というか「爆音」が響くので、判っている人は最初から後ろの車両を選択するようです。

写真からはわかりませんが、あまりにもうるさくて、トンネルの中では会話もままならないほどなんですよね。正直3両目に来たところで微々たる差だと思いますが……。同行の母などはこの爆音にだいぶやられてしまっていた模様。ほんと、親連れて乗る列車じゃないです(笑)。

 

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こちらは中間車の40TP32215。

最後尾は人が多かったので車内の写真を撮るのは遠慮しました。車番は40TPK32206でした。


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ちなみに連結部からは軌道がよく見えます。わりと怖いです。西村京太郎の推理小説で、連結部の幌を引き裂いて身代金の札束の入った袋を投げ捨てる話がありましたが、これなら引き裂かなくとも投げ放題です。


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一部の扉は故障で動かないらしく封鎖されていました。走行中に勝手に開いたりしますし、この列車の扉はボロボロですね。電化までどうにか保たせようとしていたのでしょうが、日本なら特急車の間合い運用が何かにしてでも先に置き換えるレベルだと思います。そういえば、この普快車1往復以外の區間車(普通列車)はどうしているのかと思って調べてみたら、他に1往復だけ區間車が存在し、そちらは復興号(座席指定制の快速)用の客車を使うようです。

つまり、普通列車は區間車と普快車を合わせても2往復しか走っていないということですね。日豊本線の宗太郎越え区間みたいです。


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各ドア横にあるドアスイッチ。よく知られている話ですが、台湾ではドアの操作を車掌室から行わず、乗客用のドアから行っています。他の扉が閉まったのを確認してから操作に使った扉を閉めるようになっているそうで、なんだか二度手間な気がしますが……。


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座席は転換クロスシート。肘掛けが座面の支柱の役割も果たしているようで、座面と一緒に倒れるため角度がついています。窓際にもたれ掛かって座っていたので使いませんでしたが、これは使いづらそう……。


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扉付近にはロングシート区画もあり、吊り手も付いています。キハ45みたいな感じですね。


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17:50頃、山間にある枋野(Fāngye)という駅に停車しました。手持ちの時刻表(日式台湾時刻表)に掲載がない駅で焦ったのですが、駅というよりは信号場で、ホームもなく基本的に乗客の乗降はないようです。手動扉の日本製旧客が連結されていた頃は、交換待ちの間に線路に降りて撮影できることもあったようです。

停車してしばらくすると、後ろから時刻表にない列車が追いついてきました。側面LEDには「自強號」の表示と列車番号が交互表示されていましたので、臨時列車でしょうか。ただ乗客の姿は皆無に見えました。

対向の自強號が通過したので、後から来た自強號にも抜かれるのかと思いきや、こちらの普快車が先に発車しました。


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県境の峠越え区間。トンネルと無人駅が続きます。このあたりで海が見えてきました。台湾の西側の海です。

 

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すっかり暗くなってきました。終点の1つ手前、加禄(Jiālù)駅のあたりです。ちらほら住宅が見えるようになってきました。

暗闇に突然明るい建物が現れると思ったらセブンイレブンファミリーマートで、なんだか日本を走ってるようです。


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そして台東から2時間半、終点の枋寮(Fāngliáo)駅に着きました。


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機関車はすぐに機回しされ、翌朝の折り返し列車に備えます。


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ここまで乗ってきた客車にはこれでお別れ。再訪もしたかったのですが、なかなか行けないでいるうちに電化工事が終わったため普快車は廃止されてしまいました。

ただ、今でも區間車は復興號客車がDL牽引されている(この普快車も區間車に置き換えられたのでむしろ増えた)とのことなので、今度はそちらを目当てに乗りに行ってもいいかもしれません。


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枋寮は、今乗ってきた山越え区間(南迴線)が1992年に開業するまで、長いこと西部幹線の終点だった駅です。この先は一部を除いてひたすら海沿いを走ります。

今回は高雄にホテルを予約してあるので、そこまでは後続の自強號に乗車します。

相当疲れていたのか、自強號の写真を全く撮っていません……。台東駅を1時間遅く発車した列車にここで追いつかれることになりました。台中行きの374次列車です。3両編成を4つ繋いだ12両編成でしたが、ほぼ満席のようだったので、台東で座席指定をしておいて正解でした。まあ自願無座なんて高等テクニックを初っ端から試してみる度胸はなかったのですが。

そういえば、枋野にいた自強號はどこへ行ってしまったのでしょう。まさかあのまま枋野にいて、自強號同士で待ち合わせしたんでしょうか……。本当に謎な列車でした。

 

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自強號には乗るや否や爆睡……。そういえばこの日は3時起きで、LCCにプロペラ機に旧客にと乗り心地に難のある乗り物ばかり乗ってきたので、DC自強號の座席の寝心地の良さたるや!

というわけで高雄に飛びます。改札を出るときにGoogle翻訳で「切符を持ち帰りたいです」を訳したものを改札の人に見せて通ったことは言うまでもありませんね。


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高雄駅は地下化工事の真っ只中で、仮駅舎での営業でした。こちらはその横にある、さらに古い時代に使われていた旧駅舎。最近(2021年)、地下化工事の完了した高雄駅前にこの旧駅舎を移設する工事が始まったそうで。これからも台湾の南の玄関口を守ってくれる存在です。


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ちなみに、その旧駅舎の写真を撮ったのがファミリーマートの前なのですが、そのファミマでは翌日に参加するライブのチケットを発券しました。台湾でしか発券できないのでなかなか手元に置けず不安だったのですが、無事に発券できたのでようやく安心して台北に向かうことができそうです。

 

表題の普快車レポートはこれで終了。次回は翌日・翌々日の話をして終わりにしたいと思います。