新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【入線報告】KATO西武5000系レッドアロー

今日の模型弄りです。

 

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KATOの西武5000系レッドアロー、6両セットが入線しました。

以前より欲しかったのですが、なかなか予算との折り合いがつかず後回しにしていたところ、友人(度々登場するS君)が安い出物を見つけて連絡してくれたため、念願叶っての入線になりました。


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西武5000系はこれまでTOMIX製のとても古いものがありましたが、設計が古いので今見ると少々見劣りしてしまいます。

こちらはさすがに今の製品なだけあって精密ですね。


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先頭部は古いタイプのKATOカプラーがついていますので、2編成連結や101系などとの連結もしようと思えばできます。

ただ、このままでは首が振らないため、連結運転は加工によってスカートの開口部を拡大する必要があります。中間に封じ込めるならともかく、先頭車としても使うのはあまりおすすめしません。


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そのTOMIX車も手持ちにあるので、意地悪く並べてみました。

TOMIX車が「似てない」理由は、このライトユニットの塗り分けの問題じゃないでしょうか。ここを赤くしてあげれば、そこそこ見違える気がします。いつかやってみたいですね。


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TOMIXと横からの比較。もう少し高さなどが合っていれば、入手しやすいTOMIX車から中間連結用の先頭車を改造しようかとも思っていたのですが、これは難しそうです。


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同時期に発売された101系と床下を比較してみました。よく似ていますが、しっかり作り分けられています。


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両者を連結させてみました。台車は同一のようですね。FS372形台車、数十年前に新101系が製品化された際の設計のはずですが、今でも遜色ありません。

実車はいずれも西武秩父線の開通に伴って登場し、足回りは完全に同一品です。一説には、レッドアローの利用が奮わなかった際には、車体を作り直して101系に編入できるようにしたものだとか。

 

さて、いつもなら車両弄りをすべきところですが、数ヶ月模型を弄らなかったため模型机周りが物置状態で、弄るどころか線路に載せることも叶いませんでした。上の写真もいつもの撮影台ではなく、慌てて出してきた折り畳み机の上で撮影しています。

 

これだけでは記事として寂しいので、今回は2本立てです。

 

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これは今年の5月に試運転線で撮影した写真です。実は、KATO製5000系の入線は今回が初めてではなく、この時に既に一時入線していました。


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入線したのは、今回の5000系入線をお膳立てしてくれたS君の保有車。床下機器が破損してしまったとのことで、その修理のための入場でした。


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たしか、一旦ゴム系接着剤で仮止めした後、流し込み接着剤で接着したかと思います。ちょうどライトスイッチ脇だったので気をつかいましたが、作業自体は思っていたよりもすんなり進み、外側からは気付かない程度に仕上げられました。


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施工内容はもう一つ、ついでに室内灯の取り付けもやってしまおうということで、預かったグランライトを装着しました。グランライトプレミアム、スイッチはL側にしました。スモークがかった窓になっているので実車はここまで明るく見えなかったのではないかと思いますが、窓のスモークが良い効果を出してくれていて、「模型として明るすぎない」ちょうどよい塩梅になっているのではないかと思います。


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部屋を暗くしてみました。やはり写真だとだいぶ明るく見えますが、肉眼であればほどほどの明るさに見えたかと思います。

 

こちらが「S君保有車」の整備報告でした。今回入線した私の車両も、同様に室内灯などを整備していくつもりです。

 

今シーズンは前から予約していた製品が各社から一気に発売になるので、この先しばらく入線ラッシュが続くことになりそうです。はやく部屋を片付けないといけません。

このところ、以前まで模型弄りに充てていた時間を別のことに使ってしまっているので、なかなか以前のようには模型を触れなくなってしまっています。さて、どうしたものか……。

 

ひとまず、今日はこれにて。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その9)

前回の続きです。

 

昨年から不定期で、「快速海峡の編成について」と称して、かつて津軽海峡線で運行されていた快速「海峡」の編成考察を行っています。

実車編成に関する考察記事を上げてきましたが、前回から趣向を変えて模型製品の考察をしています。「既製品の海峡セットを利用して史実編成を再現するとどうなるか?」といった内容の記事になります。よろしければお付き合いください。

前回は2000年〜2011年発売のマイクロエース製品を見てみました。今回はTOMIX製のHO・Nゲージ製品について考えます。

なお本記事は製品レビュー記事ではありません。当該製品を所有していないまま、あくまで「編成を組む」という観点からの考察になりますので、悪しからずご了承ください。

 

バックナンバーはこちら:

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その1) - 新綱島検車区業務日誌
 その1は実車研究。牽引機であるED79形について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その2) - 新綱島検車区業務日誌
 その2は使用客車である50系について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その3) - 新綱島検車区業務日誌
 その3は50系の編成パターンの考察(1988年~1994年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その4) - 新綱島検車区業務日誌
 その4は50系の編成パターンの考察(1997年~2002年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その5) - 新綱島検車区業務日誌
 その5は『JR気動車客車編成表』に基づく補遺・俯瞰的な記事です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その6) - 新綱島検車区業務日誌
 その6は14系の概要を簡単に。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その7) - 新綱島検車区業務日誌
 その7は14系の列車編成の変遷を、配置区の変遷と合わせて。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その8) - 新綱島検車区業務日誌
 その8は模型製品に関する考察(マイクロエース編)

 

資料を整理でき次第継ぎ足しながら書いていますので少し読みづらい構成になっているかもしれませんが、「その1」から順にお読みいただくと、「海峡」の編成について多少ご理解頂けるかと存じます。

 

目次

 

鉄道模型既製品における快速「海峡」号の製品構成

前回のものの再掲になりますが、私が把握している限り、「50系5000番台」や「快速海峡」などと銘打つ製品はマイクロエースTOMIXの2社から発売されており、発売順に列挙すると以下のようになります。

 

 

大きく分けて「マイクロエースNゲージ製品」と「TOMIX製HOゲージ製品」、そしてこの度発売となる「TOMIXNゲージ製品」の3種類が存在します。本記事では、このうちTOMIX製のHO・Nゲージ製品について、製品に手を加えることなく再現できる列車編成について考察してみようかと思います。

 

TOMIX製HOゲージ製品群

製品構成

まずは発売済みのHOゲージ製品について確認します。本製品は2020年5月発売で、オハフ50形・オハ50形が2両ずつセットされたセット(以下、基本セットと呼称)と、限定品として設定された非冷房オハ51形2両セット(以下、増結セット)の2製品がラインナップされました。製品の設定は、オハフ車のトイレ対向部に自販機設置に伴う窓埋め再現がないため、同改造の非対象車、もしくは改造実施以前となります。同時に非冷房車の製品設定があることから、1988年の運転開始当初をイメージしたものであることは間違いないでしょう。公式ホームページに記載の編成例にも「1988年頃」の表記があります。

公式ホームページの編成例

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こちらは製品紹介ページに記載されている編成例を、当ブログいつもの形式で表記したものです。図1-1は基本セット2組を使用して8両編成を組んだもの、図1-2はそれに加えて増結セットを1組使用し10両編成を組んだものとなります。

さて、図1-1から見てみましょう。私の理解している組成法則に従って解釈すると、こちらは1994年冬頃~1997年春頃の編成に見えます。当ブログを初めてご覧の方は本シリーズ「その5」などをご覧いただきたいのですが、函館方に固定編成で組成される「基本編成」部分が、この編成だと4両編成ということになります。製品ページの「1988年頃」という表記は、何か根拠となる資料があるのか大変気になるところです。

図2-1についても同様です。やはり基本編成が4両編成であるように見えますが、非冷房オハ51が連結されている以上、1988年でなければなりません。2両以上連結されていたかも定かではありませんが、非冷房車は指定席車に充当される可能性の高い編成両端部を避けて編成中央に連結されていただろうと想像できますので、もし非冷房車を連結するならこのあたりに来ることになるでしょう。

ただし、一概にこれらの編成が誤りであるとは申し上げられません。なぜなら、開業初年(1988年)は想定以上の旅客需要に対応するためイレギュラーな編成が組成されたことは十分考えられますし、そして私の手元にあるこの時期の編成記録は大変数が少なく、この頃の編成についてはまだ研究が不足しているからです。

私は「海峡」の編成を100例ほど蒐集しましたが、多くが後年のドラえもんラッピング時代のもので、特に開業初年の資料が不足しています。そして、その全体を俯瞰して見えてきた「組成パターン」はありますが、手元の資料の中でそれに唯一あてはまらない編成記録が、他ならぬ1988年3月13日、つまり快速「海峡」の運転開始初日のものなのです。

よって長々と書かせていただきましたが、要するに「TOMIXの編成例は私の考える組成パターンにあてはまらないもの」であり、ただ「それが存在したか、存在しなかったかについては全く断言できない」という、非常にあやふやなことを申し上げるしかないという現状をお伝えしなければなりません。

組成パターンに則るには

普段ご覧にならない方が閲覧される可能性を考慮して念のため繰り返し申し添えておくと、これはあくまで「私が考える組成パターン」に過ぎません。編成例を集めて並べた中で、「どうやらこんな法則性があるようだ」、と私が想像しただけのものです。今後ひょっこりとこれらを否定するような資料が顔を出さないとも限りませんので、くれぐれも「海峡の編成とは必ずこうなるものだ」と思われず、あくまで参考としてご覧いただきたく思います。

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まず、限定品である増結セットを使用せず、基本セットのみを2組使用した場合の組成例です。

開業当初や1992~1993年頃の基本編成が5両だった時代を再現するならば、図2-1のように、函館方3・4両目を入れ替えれば済みます。これで5+3の8両編成が完成です。

1989~1991年頃の7両基本編成時代は図2-2のようになるでしょう。5両目のオハフを7両目にもってくることで7+1の8両編成が組めます。

1991年頃に存在した6両基本編成時代の再現であれば、このように組むことで6+2の8両編成が組成できます。1~4号車を基本編成と解釈すれば、1994~1997年頃の基本4両時代の4+4(4+2+2)編成に見立てることも可能です。

ただし、1992年以降は一部のオハフ車について自動販売機の設置が行われ、トイレ対向部の窓埋めが行われているため若干外見に変化があります。気になる方は手を加えていただくのがよいでしょう。

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上記に加えて限定品の増結セットを使用し、非冷房オハ51形を組み込む編成です。まず函館方5両に基本編成を組成した時点で、基本編成にオハフを3両使用するため、増結車に使えるオハフが1両しか残りません。あまり何両もオハ車を連続させるのは少々違和感がありますので、この編成例では、オハ3両連続とし、このうち基本編成に近い側に非冷房車を1両だけ組み込む形にしてみました。非冷房オハが1両余る形です。

実は、これによく似た編成例があります。本シリーズ「その5」の図1-2がそれで、今回のこの図にさらに2両を増結すると「その5」の図1-2と等しくなります。

TOMIXNゲージ製品群

製品構成

上記HOゲージ製品の発売から1年、ついに待望のNゲージ製品の発売が発表されました。発売はまだまだ先のことですので、今後製品仕様が変更される可能性があるかもしれませんが、現時点で判明している情報から内容を考察してみます。

まず製品構成ですが、現時点では6両セット1種類のみのラインナップです。HO製品と同様にオハフ50・オハ50のみのシンプルな構成で、HOと同様に運転開始当初をイメージしたものと思います。

なお発売告知には「TOMIXの快速海峡シリーズ」の文字列が記載されており、また時期未定ながら14系編成の発売も予定されていることから、今後51形やカーペットカーなどの特殊仕様車のラインナップも期待できそうです。

公式ホームページの編成例

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ホームページに記載の編成例はこの1例のみで、「1990年頃」との表記があります。

編成について特にイチャモンはありません。ここへ来て、ようやく私の納得する編成例が掲載されたわけです。基本編成6両時代か、もしくは4両編成時代の4+2編成がこのような組成になります。

ただし、1990年という表記については少し疑問を呈したいところです。まだ若干議論の余地が残っているのですが、状況証拠的に基本編成の6両化は1991年3月とみています(詳細は「その5」をご参照ください)。1990年は基本編成が7両でしたので、少々惜しいですね。

また、1両減車して5両編成にすることで、基本編成が5両だった時代が再現できます。

フル編成を組みたい

さて、せっかくですから最長12両のフル編成を組んでみたいものです。Twitterなどで拝見する限り、「2組買ってフル編成にしよう」といった声が散見されました。私も同じ事を考えています。

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ということで4つほどフル編成を並べてみました。

図5-1はセットの編成表を単純に2本繋いでみたもの。正直、これでも違和感はありません。基本編成が4両または6両の時代に、「あったかもしれない」編成になります。

図5-2以降は実際の編成記録からです。

まず図5-2は、先ほども取り上げた1988年の11両編成、本シリーズ「その3」の図1-2の編成から、中間の非冷房車を冷房車に置き換えたものです。1988年は11両が最長だったことと、号車番号が逆順で付番されていたことに留意する必要があります。

図5-3は基本7両時代。同じく「その3」の図2-5から、1989年8月の編成です。青森方にオハフが連続する、非常に「らしい」編成といえます。

図5-4も「その3」から、図3-6の編成です。基本5両編成時代です。

基本6両時代と4両時代のフル編成の記録が見つかりませんでしたが、上記を参考に、函館側に基本編成が来るのを意識して、青森方にオハフをちりばめると「それっぽい」編成が組めると思います。

「それっぽい」編成を組むために意識したいポイント

さて前回のマイクロエース、今回のTOMIXと製品内容から編成の組み方を考察してきました。もちろん、再現したい時代の再現したい両数がそのまま編成例として記録にあれば言うこと無しなのですが、100例も編成例を集めても、まだまだ足りないものだらけで、「この時代に何両編成を組むにはどうしたら?」といった疑問は尽きないものです。

記録にない以上、「史実に存在した編成」と断言できる編成ではなくなりますが、私が多少調べた中で見えてきた「編成パターン」がありますので、そのうち基本的なものをここで紹介したいと思います。

基本+増結を構成する

このシリーズを書き始めてから、「基本5両時代は~」「増結編成が云々」と申していますが、おことわりしておくと、そのような内容に言及した書籍などは今のところ出会えていません(あるかもしれませんので、ご存じの方はぜひお知らせください)。あくまで、私が勝手に呼称しているに過ぎませんので、巷で、特に私より「ちゃんと」ご存じの方に「基本編成が~」とお話されても、「はあ?そんなものはないですよ」と言われてしまうかもしれません。あくまでも私の中の概念ですので、そこはご理解ください。

さて、私が見る限り、快速海峡の編成は次のようなイメージで組成されているようです。

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つまり、函館方にはその時代ごとに設定された「基本編成」が固定されており、週末や繁忙期などは必要に応じて青森方に「増結編成」を連結する、という法則性が見えます。編成内容が固定される基本編成と異なり、この増結編成の内容は一定せず、場合によっては複数の細かい増結ユニットのようなものが組まれていて、例えば朝に「基本+増結A+増結B」で運用入りした編成が、昼に「増結B」のみを切り離して「基本+増結A」で運転され、翌日はさらに「増結A」も切り離して身軽な基本編成だけになる……といった運用がなされているように見えます。

この増結編成は1両だけのこともあれば、長い編成が組まれている場合もあり、そもそもどこまでがペアなのかといった概念はなかったのかもしれません。オハフの連結位置であればどこで切り離しても構わないので、これを活用して臨機応変に増解結が行われていたようです。

なお、特に繁忙期のフル編成などは青森方にオハフが2~3両連続する場合が多いようでしたので、それを意識するとさらに「それっぽく」なりそうです。

時代ごとの車両構成の変化

50系「海峡」の編成は、おそらく多くの方が想像されているよりもずっと変化の多い列車でした。

下の表は、年代ごとの基本編成の両数の変化と、車両の仕様の変化について簡単にまとめたものです。同様の表を「その3」にも掲載しましたが、一部修正と加筆を加えてあります。

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※ 基本編成の両数は各年4月1日時点のもの、右側の車両形態はざっくり春頃を基準に載せてあります。細かい時期等については「その2」などをご参照ください。

※ 1998年以降の基本編成欄に「4両~」とあるのは、カラオケカーやドラえもんカーの連結列車は基本編成の両数が増加するためで、こちらについては「その5」をご参照ください。

基本編成の両数については先ほど書いたとおりで、細かい時期などはバックナンバーを参照いただくとして(細かい移行時期が特定できていないものもあります)、ここでは右側の色つきの部分をご覧ください。

色分けしてあるものが、組成上区別されていたと思われる区分を表わしています。オハフ50には1992年から自動販売機の設置改造が行われており、同工事が完了した頃から、基本編成中の自販機搭載車の連結位置が固定されるようになっています。一方、自販機の搭載が見送られた車両は、オハフ51と特に区別されずに運用されたようです。

自販機の設置車両は、トイレ対向部の窓が白く埋められているため外見で容易に判別がつきます。ただし、トイレ窓は当初から白くなっているため注意が必要です。

オハ50・51についても冷房化後は特に区別されていないと思われますが、1997年にオハ51全車がカーペットカーに改造されたため明確に区別されるようになりました。

さいごに

今回は、TOMIXからNゲージ製品の製品化発表があったため、急遽手持ちの資料から書ける記事をと書いてみたものになります。やはり注目度が高いと見受けられ、発表直後は当ブログ全記事合計で通常の10倍ほどのアクセスをいただきました。

そもそもこのような記事を書くようになったきっかけも鉄道模型で、マイクロエース製品を購入する際に、「製品を複数組み合わせて長編成を組むにはどう連結したらいいのか?」と疑問に思ったのがきっかけです。「快速海峡 編成」等と検索をかけても、編成例がきちんと載っているサイトは数えるほどしかなく、困った私はYouTubeで「快速海峡」と検索して、動画に出てくる列車の編成を片端からメモしていきました。気がつけばそれがルーチンとなり、50例ほど集まったところで「この成果を他の人にも共有しよう」と思い立ち、記事執筆に至りました。

記事公開後に資料提供をいただいたり、過去の書籍を漁ったりして、今では100例を越えました。もう管理できていないほどなのですが、一方で先ほども書いたようにまだまだ不明なことが沢山あります。

現役時代を知らない若輩者のため自前の乗車記録などは無く、当時をご存じの御先達方を頼るほかありません。もしこれをお読みの方の中で、何かご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントかTwitterなどでお教え頂ければ幸いです。

また、繰り返しになりますが、これらは私の独自研究に基づくものですので、間違い・勘違いなどを多分に含んでいる可能性があります。どうぞその点をご理解くださいますようお願いいたします。

 

来週からは通常の模型弄りブログに戻ると思いますが、今後も資料が集まり次第・整理でき次第、本シリーズの更新も続けてまいります。14系についても書かなければなりません。よろしければ今後ともお付き合い頂ければ幸いです。

 

ひとまず、今日はこれにて。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その8)

お久しぶりです。

 

しばらく更新があいてしまいましたが、そろそろ更新しなければと記事の準備を進めていたところ、TOMIXから製品化の発表がありましたので、取り急ぎ今書ける記事をアップしてみようと思い立ったものです。

はじめていらっしゃる方向けに改めて説明しますと、昨年から不定期で、「快速海峡の編成について」と称して、かつて津軽海峡線で運行されていた快速「海峡」の編成考察を行っています。

今までは実車編成に関する考察記事でしたが、今回は趣向を変えて模型製品の考察記事です。「既製品の海峡セットを利用して史実編成を再現するとどうなるか?」といった内容の記事になります。よろしければお付き合いください。

 

バックナンバーはこちら:

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その1) - 新綱島検車区業務日誌
 その1は実車研究。牽引機であるED79形について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その2) - 新綱島検車区業務日誌
 その2は使用客車である50系について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その3) - 新綱島検車区業務日誌
 その3は50系の編成パターンの考察(1988年~1994年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その4) - 新綱島検車区業務日誌
 その4は50系の編成パターンの考察(1997年~2002年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その5) - 新綱島検車区業務日誌
 その5は『JR気動車客車編成表』に基づく補遺・俯瞰的な記事です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その6) - 新綱島検車区業務日誌
 その6は14系の概要を簡単に。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その7) - 新綱島検車区業務日誌
 その7は14系の列車編成の変遷を、配置区の変遷と合わせて。

 

資料を整理でき次第継ぎ足しながら書いていますので少し読みづらい構成になっているかもしれませんが、「その1」から順にお読みいただくと、「海峡」の編成について多少ご理解頂けるかと存じます。

 

目次

TOMIX製については次回記事をご参照ください。

 

鉄道模型既製品における快速「海峡」号の製品構成

私が把握している限り、「50系5000番台」や「快速海峡」などと銘打つ製品はマイクロエースTOMIXの2社から発売されており、発売順に列挙すると以下のようになります。

 

 

大きく分けて「マイクロエースNゲージ製品」と「TOMIX製HOゲージ製品」、そしてこの度発売となる「TOMIXNゲージ製品」の3種類が存在します。本記事では、それらのグループ内から製品に手を加えることなく再現できる列車編成について考察してみようかと思います。

マイクロエースNゲージ製品群

製品の編成表を信じてはいけない

少々過激な見出しになっていました。マイクロエースからは、まだ「海峡」が現役だった頃に発売されたA4340を皮切りに、再生産と増結セットの設定、そして改良品の発売と、複数回にわたり製品化が行われています。キット作成や既製品の改造等を行わないユーザーにとって、Nゲージとしては唯一の選択肢です。

ただ、初期のマイクロエース製客車製品によくある話なのですが、「セット内容を順番に連結しても史実編成にならない」という問題があります。

客車ですから、基本的にどのように編成することもできますので、「史実編成にならない」と断言することは悪魔の証明になってしまうのではないか? と思われるでしょう。私もこの手の断言は常に控えているつもりですが、ことマイクロエース「海峡」に限って言えば、「セット内容をそのまま編成した列車編成」は史実に存在しません。

もちろん、そもそも史実編成の再現を意図した製品ではないと思いますが、あえてこのセットを活用して「実際にあり得た編成」を組むにはどうすればよいのか? どんな編成ならセット内容から組めるのか? それを(私の理解の範囲において)詳説したいと思います。

A4340 50系5000番台客車・快速海峡号6両セット

セット構成

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2000年7月という、まだ「海峡」が現役で運行されていた時代の製品です。既に「ドラえもん」ラッピングが施されるようになってから2年ほど経過した時期になりますが、特にラッピングが再現されることはなく、元の青車体に白帯で製品化されています。

マイクロエース黎明期の製品ということで、今の水準から比べると特に車体の造形に少し違和感がありますが、十分「それっぽい」範疇に仕上がっているものと思います。

車両のセット内容は以下の通りです。

  • オハフ50 5016
  • オハ50 5011
  • オハ51 5004(カーペットカー)
  • オハフ50 5010(カラオケカー)
  • オハ51 5003
  • オハフ51 5004

50形、51形それぞれからオハフ・オハを1両ずつ、そして特殊仕様車であるカーペットカーとカラオケカーを含んだ製品構成で、同じ形の車両を入れず様々な仕様の車両をセットに含もうとするメーカーの意図がくみ取れます。

製品付属の説明書にはこの6両を順に組成した編成表が付属しており、これを当ブログいつもの形式で図に起こすと次のようになります。

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凡例:オレンジ色がオハフ、灰色がオハで50形・51形の区別はありません。濃い青色がカーペットカー、黄色はカラオケカーです。図の左側が函館方、右側が青森方を示します。

さて当机上研究シリーズを順にお読みいただいている方であれば違和感を感じられるかもしれません。カーペットカーが3両目に来る組成は、函館方に増号車オハフを増結した例を除いて今のところ確認できていません。が、そもそもの組成順以外におかしなところがあります。オハ51形です。

オハ51形は津軽海峡線開業後、想定以上の旅客利用があったために急遽塗装変更とEG回路の追加だけで非冷房のまま急遽4両が転用されたもので、利用が落ち着いた冬季に改めて5000番代化改造が行われました。4両の小所帯でオハ50と混用されましたが、1997年の春に4両全車にカーペットカー化改造が行われています。

つまり、製品には座席車のオハ51とカーペットカーのオハ51がどちらも含まれていますが、この両形態がともに編成に連結されていた可能性は限りなく低いと言わざるを得ません。この製品だけでは6両編成を組むことができない、ということになります。

逆に言えば、カーペットカー化前後のどちらの時代も再現できるということになります。2種類以上製品展開することなくさまざまな時代設定の列車が再現できるのですから、メーカーのこの判断は歓迎すべきものです。しかし、それを実際に遊ぶ側が、もし史実編成にこだわるのであれば、この点は意識しなければならないポイントになります。

さらにカーペット化後も安泰ではありません。カーペットカー連結は1997年6月からですが、1998年には有名な「ドラえもん海底列車」キャンペーンが開始され、以後「海峡」廃止まで車体にドラえもんラッピングがほどこされます。ですから、このセットから再現できる時代設定は、大きく分けて「1988年~1997年春のオール座席車時代」と「1997年夏~1998年冬の非ラッピングカーペット時代」の2種類になります。

※さらに、当ブログ読者様には「またあの話か」となりそうですが、1991年以降オハフ50形の約半数に「自動販売機設置改造」が行われています。改造以後、改造車と非改造車では編成中の連結位置が区別されるようになり、また両者は外見からも判別可能であることから、ここを厳密に区別するのであれば「このセットに含まれる座席車は1989年~1991年の間の仕様」ということになってしまいます。これはこの後の製品も含めて当てはまる問題ですが、重箱の隅をつつくような差異であること、窓を白く塗りつぶす程度の加工であれば自前で施工される方も多いと思いますので、この点については多少目をつぶりながら解説を進めていきます。

前置きが大変長くなりましたが、以上の点を踏まえてこのセット1つで組成可能な「史実編成」は以下のようになりそうです。

オール座席車時代

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凡例:これ以降、オハフ車のうち自販機搭載のものは茶色で区別します。

このセット1つから作れるオール座席車時代の編成となると、カーペットカーとカラオケカーを抜いた一般座席車4両から組成しなければならず、当然選択肢が限られてきます。そして、4両で組成できる編成となると、さらに時代が限られます。

厳密な時期をまだ特定できていないのですが、基本編成が4両まで減車されたのは1994年頃ではないかと見込んでいます。(編成中に必ず自販機搭載車が1両以上連結されますので、この時点で前述の差異を問題にすると該当する時代が皆無になることがおわかり頂けるかと思います)

4両しかありませんので、組成できる編成は3連か4連の2択です。また、4号車には必ず自販機搭載車が連結され、オハフ51形に自販機搭載車は存在しないことから、1号車にオハフ51、4号車にオハフ50を連結した、3両または4両の編成を組成することになります。(さらに言えば、製品の車番設定オハフ50 5016は自販機の搭載改造がされなかった車両ですので、この点を気にする場合は改番するか、後述の増結セットを導入する必要があります)

3両編成が運用されたのは閑散期のみで、これもいつ頃から設定されるようになったのか不明なのですが、所定編成ではなく減車措置であることは、1・2・4号車という号車番号設定からも伺うことができます。

但し書きばかりで非常にやりづらいですが、これがマイクロエース製品の現実ですから仕方ありません。そもそも、ここまでこだわることは想定されていないでしょうから、メーカーに責はなく、こんな重箱の隅に気づいてしまった私自身に罪があるといえます。

非ラッピングカーペット時代

そもそもセットにはカーペットカーやカラオケカーが含まれているのですから、やはりここはカーペット入りの編成を作りたいものです。

「カラオケカー」の連結は1997年4月26日から、「カーペットカー」の連結は同年6月1日から。「カーペットなし・カラオケあり」の編成が1ヶ月ほど存在したはずですが、残念ながらこの時期の編成例をまだ確認できていません。

では両車が出揃った6月以降、次年春のドラえもんラッピングまでの期間で考えます。

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図3-1は両車ともに組み込まれた編成例で、カラオケカーが1両しか存在しないため1往復だけがこの編成でした。閑散期など、増結しない際の基本編成がこの組成でした。前述の通り座席仕様のオハ51とは共存できませんが、仮にセット内容がオハ51ではなくオハ50だったとしても、編成の組成パターンからするとこの中に座席車オハを2両組み込むことはできません。(正確には、そのような編成例は確認できていません)

図3-2はカーペットカーだけが連結された編成で、3運用中2運用がこの形態でした。この編成を基本として、青森方に増結車を連結していく方式です。一番オーソドックスな、「海峡らしい編成」かと思います。

A4342 50系5000番台オハ・オハフ2両セット

セット構成

上記A4340発売から2年、「海峡」廃止直後の2002年12月に発売されたのはこのオハ・オハフ2両セットで、同時にA4340が再生産されたこともあって実質的な「増結セット」としての発売でした。今後、これらを「基本セット」「増結セット」と呼んでまいります。

増結セットの内容は以下のようになります。

  • オハフ50 5013
  • オハ50 5006

車体構造には特に変化なく、台車・車輪に多少手が入ったのと、テールライトの点灯が省略されてしまったのが相違点です。

ポイントは、前述の自販機搭載車問題に対応するかのように、オハフ50には自販機搭載車の車番を設定された点です。これによって(車番だけですが)史実で「あり得た」編成が組めるようになりました。また、これまで基本編成が4両まで減った1994年以降しか組めなかったところが、この増結セットの導入で基本編成が6連だった1991年まで遡れるようになりました。(もちろん、複数セットの購入で両数を増やせば開業時の編成も再現可能です)

ここでは、基本セットと増結セットを1セットずつ購入した場合に再現できる編成例を取り上げます。

オール座席車時代

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オール座席車で組成できる編成は3パターンほどで、最長6両編成が組めます。

まずは基本編成が6両だった時代、1991年頃の編成が図4-1です。例の自販機搭載改造が同年末から92年にかけてなので、基本的にオハフ、オハはそれぞれどの車両を繋いでも問題ありません。ライトユニット非搭載車の位置に気をつければ、気分によってどの位置に51形を組み込むか、いろいろ楽しみながら組成できます。

このような編成は、基本編成が4両に短縮された1994年以降にも組成されます(図4-2)。函館方4両が基本編成、青森方2両が増結車です。この時代にする場合、4号車は自販機搭載車が固定になりますので、増結セットのオハフは中間4号車に持ってくる必要があります。

図4-3は少々マイナーですが図4-2と同時代、増結編成がオハフ1両のみだった場合の組成です。閑散期の週末などにまれに組成されていました。

図4-4は基本編成が5両編成だった時代、1992年~93年頃の編成です。同様の5両編成は開業時にも組成されていましたが、その頃はまだオハフ51が5000番代化されていませんので、オハフ50が2両しかない中で組成することはできません。(書籍等ではオハ3両をオハフ2両で挟む組成がよく紹介されていますが、いまのところそのような編成例は確認できていません。3号車にもオハフを連結する場合が一般的だったようです)ここでも自販機搭載車の位置は固定で、3号車に連結することになっています。車番が自販機搭載車のものになっているのが、ライトユニット非搭載の増結セットのものなので都合が良いですね。

非ラッピングカーペット時代

さて本命のカーペット連結時代はどうでしょう。先ほど同様、オハ51の座席車仕様は時代設定の問題から使用できませんので、残る7両から組成することになります。

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先ほどと同様に、基本セットに2両増結するイメージです。

図5-1はカラオケ・カーペットの両方を連結した編成で、やはり5号車が自販機搭載車(=増結セットのオハフ)固定です。基本セット・増結セット1つずつの購入で再現できる編成としてはこれが最長のものになります。カラオケ非連結の編成では図5-2のようになります。

なお、増結セットのオハフにはライトユニットが搭載されていないため最後尾に連結できないという問題がありますが、実は基本セットのカラオケカーにライトユニットが搭載されており、史実編成では絶対に使用しないので、車両の分解に抵抗のない方はライトの付け替えで増結セットのオハフを点灯化できます。そうすることで、気分によって増結車を連結したり切り離したりといった楽しみ方ができますのでおすすめです。(なおライトのオンオフスイッチの類いは装備されていません)

 

以上がマイクロエース製A4340,A4342、いわゆる「旧製品」を1セットずつ使用した編成例です。私が所持しているのもこの布陣なので、上につらつらと書き連ねたようなことを考えながら、並べる車両の時代設定に合わせて組み替えて遊んでいます。

 

A4352 50系5000番台客車 快速「海峡」 改良品 8両セット

上述の「旧製品」では、「顔が似ていない」「作りがチープ」「ライトのオンオフ切り替えができない」といった問題がありましたが、2011年7月にそれらの改良を施した「改良品」が発売されました。顔の造形についても多少改善が施され、「旧製品よりは似ている」ということで、今回のTOMIXの発表までは事実上「Nゲージ快速海峡の決定版」となっていました。中古品にもプレミアがつくほどで、私もまだ手元に置くことが出来ていません。今回の発表で多少値下がりしていただけるとありがたいところです。

セット構成

さてさてそのセット内容ですが、旧製品以上に面白いことになっています。

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  • オハフ50 5009
  • オハ51 5004(カーペットカー)
  • オハフ50 5010(カラオケカー)
  • オハ50 5005
  • オハ51 5001
  • オハ50 5007
  • オハ51 36(非冷房車)
  • オハフ50 5012

相変わらず座席車時代のオハ51とカーペットカーが同居していますが、それはもう些細な問題です。なんと、開業年の夏前に急遽用意され、5000番代化される年末までのわずかな期間のみ運用された、非冷房時代のオハ51がセットされ、それらがあたかも同一編成を組まれていたかのように「編成図」として掲載されているのです。(製品PDF

編成中に3つの時代が同居している、というとても素敵な構成で、時代設定を気にする人にとってはこのセットの内容をすべて連結できないのは問題ですが、旧製品の場合と同様にこの1セットだけで様々な時代設定の列車編成を楽しめるのはメリットでしょう。

では、旧製品でみたのと同様に、このセットで作れる編成を見てみます。

オール座席車時代

ここで残念なお知らせをお伝えしなければなりません。旧製品になく、この改良品で初めて設定された「非冷房車」ですが、このセット単体で非冷房車を含む史実準拠の編成を組むことはできません。そもそも座席車仕様のオハフが2両しかない時点で開業時当初の編成を組むことは難しいですし、車両不足で急遽運用された非冷房車という性格上、短編成の列車に組み込まれていたとは思いがたいのです。

そして、座席車仕様のオハフが2両しかないのは非常に使いづらいところです。

というわけで、私の思う「史実編成」を座席車のみで編成する場合、次の一択になります。

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基本編成が4両編成だった1994年から1997年春までのおよそ3年間が対象です。4号車は自販機搭載車固定なので、オハフは製品付属の編成表の通り、1号車に5009を、4号車に5012を連結するとよさそうです。オハは冷房車であれば好きな車両を気分で連結できます。この編成からさらにオハ1両を減車すれば、図2-2と同様な閑散期の減車編成も再現できます。

非ラッピングカーペット時代

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さて本命のカーペット連結時代(1997年)ですが、やはりこちらについてもオハフ不足は如何ともしがたく、旧製品の基本セットと同様の編成しか組めません。

オハが3両(2種類)から選べるほかは選択肢がないので、せっかく8両セットでありながら活用できないのが辛いところです。せめてセット中のオハが1両オハフになっていれば、組成の幅がかなり広がったのではないかと思うだけに非常に残念なところです。

番外編:マイクロ製品でフル編成を組むには

さて、ここまでそこそこの文字数を割いて「マイクロエース製品そのままでは短編成しか組めない」という内容の駄文を連ねてきましたが、逆にマイクロ製品を複数組み合わせて長編成を作るには何セット必要なのか考えてみます。

50系「海峡」の編成両数は最大で12両ですので、やはりここはロマンを求めて12両編成を組みたいところです。そして、いままで見てきたように旧製品、改良品のいずれもオハフ不足に悩まされています。ですから、極力オハフを少なく編成できれば、少ないセット数で長編成が再現できるということになりそうです。

手持ちの編成例を確認して、最もオハフ比率の少ない編成を……と探してみたのですが、手元の資料にある12両編成の編成例ではいずれもオハフが6両以上連結されており、オハフ率が50%を下回らないという結果になりました。多い例では12両中10両がオハフ(カラオケカー、ドラえもんカーを含む)となっています。やはりオハフ不足に悩まされるしかないようです。

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図9-1は基本編成が7両の時代、1989年8月の編成表から。オハフ6両、オハ6両から組成されています。これを模型で組む場合これらの両数が揃うように組めれば良いことになりますが、注意すべきはこの時代のオハフ51がまだ非冷房ということです。よってオハフ51-5000を含む旧製品基本セットではオハフが1両分しか稼げません。旧製品増結セットでかさ増しすることになるでしょう。……非常に気の遠くなる話ですが、そもそも時代設定を1989年12月以降にしてしまえば問題ありません。おそらく、同じく基本編成が7両の1990年や、基本編成が4両になった1994年~1997年にも、繁忙期にはこのような編成が見られたはずです。その頃であれば、オハフ51-5000を1~2両含んでいても問題になりませんので、例えば旧製品の基本セットと増結セットを2セットずつ用意するなどをすればこの編成が組めます。基本1+増結4や、改良品を入れて改良品1+基本1+増結2などの組み合わせも可能です。極端な例では、増結セット6組でも組成することができます(ライトが点灯できませんが)。

図9-2はカーペット組み込み時代です。残念ながらカラオケ連結編成の12両編成の例を見つけられませんでしたが、きっと存在していたことでしょう。この編成を組む場合も、図9-1の例と同様の製品組み合わせで実現できます。もちろん、カーペットカーが必要なので、必ず基本セットか改良品を1セット以上購入する必要があります。

図9-3はオハフを少しケチって5両用意した場合の最長編成で、11両編成が組まれています。1988年7月の編成記録からで、当時は11両が最長でした。オハ51非冷房車が含まれていますので、改良品の当該車両が活用できますし、非冷房車の代わりに冷房車で同様の編成を組んでも問題ありません。基本編成が5両の時代であればこれと同様の編成が組まれた可能性が十分ありますので、1988年のほか1992~1993年の編成としても違和感ありません。この編成は改良品1+基本1+増結1の組み合わせで再現できるので車番を改番する必要もなく、模型で再現するには一番現実的な組成かもしれません。

 

さて、長々とマイクロエース製品について駄文を連ねてみました。細部まで気にするとなればいろいろと注意すべき点は多く挙がりますが、模型ですから各々が好きなように楽しめれば良いものです。特に改良品については、マイクラエース特有の繊細な印刷表現も相まって印象把握の良いものになっていますので、細かいことは気にせずに楽しめればそれが一番かと思います。

それから、この記事ではオハ51の時代設定など「理論上あり得なかったもの」と、「単に私の資料にないだけのもの(=あり得た可能性が無いとは言い切れない)」とがあり、両者ははっきりと区別して記述したつもりです。この記事で否定されているからといって、くれぐれも「絶対に存在しない」と思われませんようお願いしないと思います。間違っても、「このブログでこう言われてるからその編成は間違っている」などと他の方への指摘をされませんよう……。

 

記事が長くなってしまいましたので、一旦この辺りで記事公開に踏み切りたいと思います。TOMIX製のN・HO製品については記事が書け次第、この記事に追加または次の記事で紹介したいと思います。

 

ひとまず、今日はこれにて。

 

(後日追記)続きはこちら

【入線整備】TOMIX 185系湘南色入線整備!(その1)

今日の模型弄りです。

 

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185系についてはもはや説明不要でしょう。かつての急行「伊豆」用の153系置き換えと特急格上げのために登場し、今年3月に引退するまでの約40年間、ひたすら「踊り子」用として東海道線を15両で走り続けた車両です。

「踊り子」用については2000年頃から2014年頃までは湘南色をブロックパターンで配置した塗装がされており、これは私が中高時代に通学でJRを使用していた時期と被っているため、185系といえば湘南色というイメージです。

 

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TOMIXもかつて製品化したことがありましたが、長らく再販されておらず、近年までKATOの独壇場でした(マイクロエースもあるにはありましたが……)。私も湘南色の製品を8両(基本セット)だけ所有していました。

ただこの185系、前面が185系っぽくないという欠陥を抱えており、ファインスケールでの製品化が強く望まれていたところ、2019年にHG仕様で発売され人気を博しました。

 

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事情があって記事にはしなかったのですが、昨年末に私もこの185系(初回ロット)を購入しておりました。

この時はストライプ塗装でしたが、湘南色への製品展開が必ず行われると予想したので、ストライプの製品化が発表された段階で、手持ちのKATO車は当時Nゲージを始めたばかりの185系好きの友人に押し付け……もとい、格安で売却。TOMIXからの発売を首を長くして待っていたものです。

 

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製品化発表とともに予約を入れてありましたので、発売されるとすぐに通販で到着しました。通勤経路上に模型店がない現状、そして無闇に買い物に行くのが憚れる今、通販は非常にありがたい存在です。


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というわけで入手から2ヶ月ほど経ってしまいましたが、遅ればせながら入線整備を行ってまいりたいと思います。


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10連のA編成は基本Aセットと増結セットに分けられていますので、さっそく1ケースにまとめ直します。最近のTOMIXはウレタンが10両対応で、ありがたいところです。


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ところで今回のウレタン、クーラーの部分が別体になっている新仕様?でした。以前からあったのかもしれないですが、私は初見です。


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点灯状態も良好。自宅試走台の電気系統はいまメンテナンス中なので、線路に9V電池を置いての撮影で、電池を倒さないように気を使いながら撮ったら傾きました(笑)

この台、案外撮るのが難しいです。

 

さてさて、まずは製品所定の整備から。


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屋根上のアンテナ類の取付けを。列車無線アンテナは今回もピンバイスが必須です。国鉄仕様の製品化予定があるのでしょうか。もし出たら153系との併結も面白そうですね。


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床下にはATS車上子を取付け。目立たないところですが、HG仕様の国鉄特急車は毎回再現されてますね。


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ジャンパ線は今回もホース部分を黒く塗り塗り。中間連結部にはホースを使用しないようにとの指定ですが、まあなんとかなるでしょう。


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先頭台車には台車排障器を取り付けます。この細かいこだわり、さすがHG。


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いつものようにトイレタンクも付属します。パンタ付きモハとサハにはトイレがないのでご注意。

 

両数が多いのでサクサクと進めていきたいところです。

次回に続きます。

【入線整備】大井川鐵道スハフ43のボディマウントナックル化

今日の模型弄りです。

 

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大井川鐵道では数多くの旧型車両が維持され、日々運用されていることはよく知られているところです。

それは、大井川鐵道の代名詞にもなっているSLだけでなく、EL、電車、そして客車のどれを取っても「旧型」で、沿線の生活を守るローカル鉄道でありながら、海外の「保存鉄道」のような性格も併せ持っています。

 

そんな大井川鐵道に数ある客車の中に、「スハフ43」という車両があります。

 

私がスハフ43に出会ったのは、大井川鐵道に初訪問を果たした2018年の春。お花見SLの先頭に連結されていた客車が、このスハフ43でした。

 

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お座敷客車と展望客車を連結し、車内で宴会をしながら家山駅の桜を見に行くという趣旨の列車で、片道30分程度の運行ながらとても満足度の高い企画でした。コロナ禍がなければ毎年運行されていたものと思います。

この時、お座敷客車と展望客車とともにスハフ43が連結されていたのですが、その時は初大井川鐵道だったことと、お座敷客車や展望客車(どちらも西武改造!)に気を取られていたので、あまり気にしていませんでした。


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次に訪問したのは同年7月。家族旅行の際に立ち寄りました。

生憎の土砂降りの中、臨時列車としてホームに停車するスハフ43が非常に絵になる光景でした。


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ちなみにこの時の牽引機は元西武E31。E31とスハフ43の組み合わせは、何故かよく見かける気がします。


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こうしてスハフ43が気になるようになり、訪問4回目にして乗車が叶いました。

これは2019年の8月。SL不具合によってEL代走となったためか、夏休みの休日ながら比較的閑散としていました。新金谷駅の窓口で「トラスト客車」を指名すれば当該号車の座席を指定してくれました。

ちなみにこの時の牽引機も西武E31。重連牽引でした。


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車内はこんな感じで向かい合わせのクロスシートです。この車両ができた時は一方向に固定されたクロスシートで、終点に着くたびに編成ごと方向転換していましたが、ローカル用に格下げされた時点でこのような向かい合わせの座席に改良されています。


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かつて「かもめ」「はつかり」等のまだ特急が「特別な急行」だった頃の生き証人が、ほとんどその頃の出立ちのままこうして運行されているのは奇跡と言っていいでしょう。

茶色い客車より動く機会が少ないですが、一時期よりも臨時列車などでの稼働頻度が増しているので、まだ元気なうちに沢山乗っておきたいところです。

 

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さて、ようやく模型の話ですが、このスハフ43は完成品ではマイクロエースが製品化しています。スハフ43とともに日本ナショナルトラストが所有するC12、オハニ36、スハフ43の計4両がセットされています。このうちC12とオハニ36はいずれも非稼働状態ですね。

いつかE31とともに乗車した列車を再現したいと思って買ってあったものですが、買ったまま整備せず放置していました(まるで所属会社のよう……)。まだE31の再生産が発表されていない頃でしたが、SL不調で連日EL代走が行われる中、このスハフ43の稼働頻度が上がっていたために注目されつつありました。中古相場も上がりつつある頃でしたが、手頃な額のものをどうにか見つけて落札していました。


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前オーナーの手でTNカプラーに換装されていたのですが、どうも車輪の転がりが非常に悪いです。どうやらTNカプラーに引っかかっている模様。よくある話です。


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ひとまずTNカプラーを外し、さらに車輪と軸受の清掃をしたところ通電と転がりがよくなりました。室内灯が付いているとは思いませんでしたね。


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外したTNカプラーの代わりを考えます。デフォルトで装備されていたアーノルドカプラーのポケットは根本からカットされていましたので、いつもの自作ボディマウント式でナックル化することにします。

まず床板とボディの段差をプラ板で埋めます。


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毎度お馴染みナックルカプラー。ポケットの爪を切除し、首振り角を拡大しています。

このパーツを先程のプラ板に接着すれば完成です。


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台車が車端寄りにあってカプラーユニットと支障しそうだったので、連結面間隔は一旦広めに取ってみました。今後様子を見ながら縮めていくつもりです。


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あまり似てないな、というのが正直なところですが、雰囲気はそのものです。今後E31や茶色い旧客などと一緒に大井川鐵道ごっこをやっていければと思っています。

 

ひとまず、今日はこれにて。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その7)

今回は研究記事です。

昨年から不定期で、「快速海峡の編成について」と称して、かつて津軽海峡線で運行されていた快速「海峡」の編成考察を行っています。

 

バックナンバーはこちら:

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その1) - 新綱島検車区業務日誌
 その1は実車研究。牽引機であるED79形について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その2) - 新綱島検車区業務日誌
 その2は使用客車である50系について。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その3) - 新綱島検車区業務日誌
 その3は50系の編成パターンの考察(1988年~1994年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その4) - 新綱島検車区業務日誌
 その4は50系の編成パターンの考察(1997年~2002年改正)です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その5) - 新綱島検車区業務日誌
 その5は『JR気動車客車編成表』に基づく補遺・俯瞰的な記事です。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その6) - 新綱島検車区業務日誌
 その6は14系の概要を簡単に。

 

「その7」となる今回は、14系座席車の車両配置と運用の変遷を辿ります。

 14系座席車車両配置の変遷

登場から引退まで一貫して快速「海峡」のみに使用された50系5000番代とは異なり、14系500番代は「海峡」と共通運用の急行「はまなす」のみならず、「宗谷」「まりも」などの道内急行にも使用されていました。そのため、「海峡」の編成を考察する以前に、年代ごとに「その時代にどの程度の車両数を海峡に使用できたのか」を確認する必要があります。

ここではまず、配置区と車両数の変遷を確認してみます。

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14系車両配置の変遷(オハ14)

この表は、イカロス出版ブルトレ新系列客車のすべて』に掲載されている配置履歴表をもとに、14系の配置箇所の変遷をまとめたものです。各年4月1日現在の配置を表わしたものになっています。ざっくり緑色が札幌運転所、青色が函館運転所(→函館運輸所)、黄色が釧路運転所(現在の釧路運輸車両所)、オレンジが旭川運転所を表わします。

1988年以前と2003年以降は、急行「はまなす」廃止まで配置や車両数に変化がないようでしたのでざっくりカットしてあります。

見づらい表ですが、それまで全車が札幌運転所に所属していたオハ14が、1989年から複数の配置箇所に分散し、特に函館所属車には1989年、1993年、1999年の3回に分けてまとまった両数が転出していることがわかります。そして函館所属車の多くが、快速「海峡」が廃止された2002年までに廃車になっています。

 

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14系車両配置の変遷(スハフ14)

こちらは同様にスハフ14の配置をまとめたものです。両数が少ないからか、比較的シンプルに見えます。

 

さて、上2つの表は車番順に並べたものですが、車両の転配は必ずしも車番順に整理されて行われるものではないのでとても見づらくなってしまっています。

そこである程度グループ化して整理してみることにしました。それが下2つの表です。

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14系車両配置の変遷(オハ14)整理版

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14系車両配置の変遷(スハフ14)整理版

多少わかりやすくなったのではないかと思います。これを元に、これらの車両をどのように使用していたのか考えていきます。

なお、この記事で取り上げる内容は、引用元の資料そのものの誤り、私の解釈や資料作成上の誤り、その他さまざまな要因で事実と異なる可能性があります。車両研究される皆様はそれらに十分ご留意いただいた上で本記事をお読みいただければ幸いです。また、お手元の資料との矛盾点などがありましたらお気軽にお知らせください。

14系車両運用と配置の変遷

それでは、ここから年代ごとに14系の車両運用と配置の変遷を辿ってみます。

1987年3月の14系配置

まずは津軽海峡線の開通以前、国鉄民営化時点での運用を見てみます。

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14系定期列車組成表(1987年3月)

車両数は、もちろん14系500番代の全車が健在で、全て札幌運転所に配置されています。宗谷本線の昼行急行「宗谷」と夜行急行「利尻」、そして天北線経由の昼行急行「天北」は、効率的に車両を運用するために国鉄時代末期から共通運用が組まれており、夜行列車の「利尻」の前後運用となる下り「天北」と上り「宗谷」には、昼行列車でありながら寝台車がそのまま連結されていたことで知られます。

石勝線・根室本線経由で札幌~釧路間を結ぶ急行「まりも」にはなんと寝台車が5両も連結されており、同都市間の夜行需要の高さが窺える陣容です。

一番下の急行「大雪」は札幌~網走間を結ぶ列車です。この表では寝台車2両・座席車3両と記載しましたが、資料によっては寝台車を3両・座席車2両とするものもありました。

ここで取り上げたいのは、座席車の所属59両のうち、定期列車の所定編成に使用されるのは25両程度で、残りの35両ほどは余剰となっている点です。繁忙期と閑散期の需要増減が激しく、繁忙期の増結用や臨時列車に使用されるとはいえ、だいぶ余っている印象を受けます。

なおこの時期に運行されていた臨時列車には、函館~札幌間の夜行急行「すずらん」や、海水浴客向けに札幌~余市間で運転された快速「らんしま」などがあります。「すずらん」は翌年3月まで、「らんしま」は91年夏まで運転されていたようです。

1988年3月の14系配置

それでは本題の、海峡運転期の編成を見てみましょう。津軽海峡線が開業した、1988年3月のいわゆる「一本列島」改正です。

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14系定期列車組成表(1988年3月)

青森~札幌間に夜行急行「はまなす」が設定されました。所定編成は、オハ3両をスハフ2両で挟んだ5両編成となっていますが、もちろんこれだけでわけはなく、車両増結が常態化していたことはよく知られている通りです。

有名なエピソードとしては、改正初日の下り「はまなす」はこの5両編成を2本繋いだ形の10両編成で、当初半分の5両を途中の函館で切り離す予定が、トラブルによって終点札幌まで10両繋いだまま運転されています。*1当時は「はまなす」の函館以南にのみ増結車を連結する運用が行われており、この函館での増解結運用は2002年に快速「海峡」が廃止される頃まで続けられていました。

予備車としてはスハフ8両・オハ20両あり、一見潤沢に見えます。しかしこれらは「はまなす」のみならず他の各線の急行列車にも振り分けていたはずで、厳しい車両運用を強いられたことが窺えます。*2

この改正では、最大限に海峡線用に車両に振り分けるためか、単に需要が減少してしまったためか、まるで「はまなす」に吸い取られるかのように、他の定期列車には軒並み1~2両ずつの減車が実施されています。座席車の増結がギリギリになる一方で、オハネに関しては予備が10両に増加しており、これを活用して「宗谷」や「天北」などへの繁忙期増結に寝台車を座席車代用として使用していた記録*3があります。

さて本題の「海峡」ですが、「海峡」にはご存知の通り急行「はまなす」運用の間合いとして使用されていました。運用の流れは「海峡」運転期間中ほとんど変わることなく、次のような流れになっています。

深夜に札幌を出発した上り「はまなす」は早朝に青森に到着し、一旦青森運転所にて整備を行った上で改めて朝の下り「海峡」として青森に姿を表します。充当される「海峡」の号数は時期によって違いがありますが、深夜に再び下り「はまなす」として青森を出発するまでに、青森〜函館間を「海峡」として2往復する運用が組まれていました。

下り「はまなす」には青森発函館方面への最終列車としての役割があり、この区間のみの利用者も一定数存在しました。増結車の運用はこれを利用し、例えば早朝に上り「はまなす」へ函館から増結車を連結、そのまま昼間の「海峡」に使用した後、下り「はまなす」では函館止まりの車両として利用、函館で切り離すとその日に上がってくる上り「はまなす」に再び連結するなど、効率的な車両運用がなされていました。増解結のタイミングは上下の「はまなす」の函館停車時だけでなく、「海峡」として函館に来た時に行われることも多く、少ない車両数を最大限に効率化する努力が窺えます。

1988年11月の14系配置

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14系定期列車組成表(1988年11月)

津軽海峡線開業からおよそ半年後、1988年11月の組成です。稚内方面の昼行急行はキハ400系に置き換えられたため、宗谷本線の運用は夜行の「利尻」1往復のみになっており、特徴的だった昼行列車との共通運用は解消されています。この置き換えは昼行急行のスピードアップを意図したものと思いますが、これによって捻出される客車を海峡線方面に回すことも目的の1つだったのでしょう。

また、オハ14の座席をリクライニングシートに取り替えた「ドリームカー」が登場し、急行「まりも」の指定席車として運用されるようになりました。代わりに寝台車が2両に減車され、発生した余剰車を活用して「北斗星」用24系に改造する工事が行われています。

 

この頃下り「北斗星」の早朝利用者のために、函館〜札幌間でスハフを増結する運用が組まれていました。*4この送り込みは上り「はまなす」で行われたため、「はまなす」用増結車の連結作業がある日の函館では、函館方の「北斗星」送り込み車両を切り離す傍ら、青森方に「海峡」のための増結車を連結する作業が行われていたはずです。この「北斗星」用増結車にはスハネフが使用された実績もあるとのことで、ここにも車両のやり繰りの苦しさが表れています。

1989年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(1989年3月)

前述の通り、余剰のオハネ14を北斗星用24系に転用改造した例があるため、前年と比較するとオハネ14の配置数が2両減少しています。

また、14系500番代の登場以降初めて他区への転属が発生し、スハフ4両とオハ8両の計12両が函館運転所の所属となっています。(函館車は表中薄い緑色で表記しています)

函館転属の理由ですが、この頃快速「海峡」では旺盛な需要を受けてフル編成(1989年から12両)への増結が常態化していました。以前「その3」でも書きましたが、この頃の「海峡」50系運用は4運用ありますので、50系の配置数39両からは全列車に対して12両編成への増結を行うことができません。そのため、1運用を14系で代走させることで、12両編成への増結車を捻出したものと考えられます。1988年時点でもこのような代走措置は行われていたかもしれませんが、1989年の函館転属によってそれがやりやすくなったものと思われます。

表では、「はまなす「海峡」の基本編成が7両に増強されているのを反映しています。一方、「利尻」は寝台車の所定連結数がさらに1両減少し1両のみになりました。もちろん繁忙期には増結が行われているはずですが、依然として寝台車ばかり余剰となっていることがわかります。

1989年10月の14系配置

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14系定期列車組成表(1989年10月)

この年、3月から7月にかけて相次いで北斗星向け改造車が落成しており、オハネ14の配置数はさらに減少して6両のみとなりました。一方でスハネフは1両も減っておらず、ここへきてスハネフとオハネの車両数が逆転するという面白い現象が起きています。

運用数については、大雪の寝台車が1両座席車に置き換えられているため、オハの予備が減ってオハネの予備が増えています。

特筆すべきは、初めて釧路に配置される車両が出てきていることで、スハネフとオハネが2両ずつ、ドリームカーのオハが5両、そしてスハフが2両の計11両が釧路に転出となりました。表中、釧路車の寝台車は濃い青色で、座席車は黄色で区別しています。

「まりも」用の車両を転出させた形ですが、ドリームカー1両を除いて予備車がありませんので、検査時や増結時は札幌車が代走したものと思われます。寝台車についてはこの後数ヶ月おきに札幌車と配置車両の交換が行われていますが、配置数に変化はないため個々の移動については割愛します。

1991年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(1991年3月)

※表中「予備」欄のオハ14の配置について、「□×15」が余分に記載されています。ないものとしてお考えください。

さて、1990年を飛ばして1991年3月改正です。この改正では、「利尻」の気動車(キハ400)化このため、スハネフのうち3両に気動車併結対応化改造と方転が行われています。また、「海峡」の所定編成も6両に減車されました。これにより座席車に大量の余剰が発生し、所定編成基準での余剰車はオハ14で15両という数になっています。これだけあれば、各列車に増結を行っても余裕があるでしょう。14系座席車の車両不足は、ここへきてようやく解決を見たと言えるかもしれません。

ちなみに、「利尻」の気動車化と同じタイミングで「まりも」編成も方転が行われています。おそらく、今後「大雪」「まりも」用スハネフに対しても気動車併結対応化を行うにあたって一時的に減少するスハネフの予備車を「利尻」と共通にするための措置ではないかと思います。

なお、オハネの配置数はさらに減り、たった3両まで減少しています。この時生き残った3両はいずれも後に気動車併結対応化改造されることになりますので、オハネ14からの24系化改造はここで打ち止めということになります。

1991年7月の14系配置

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14系定期列車組成表(1991年7月)

さて91年7月は「はまなす」編成にとって大きな転換期となりました。

先述のオハネ14からの北斗星転用改造では、最後に改造されたのが北斗星の「ロイヤル・ソロ」車3両で、北斗星の個室率向上を意図したものでした。既に12両編成化は達成されていますので、この改造車の導入で通常の開放B寝台車に余剰が出ることになります。

この余剰車を利用して14系併結対応化改造を行い、「はまなす」への組込みを行なったのがこの91年7月でした。

これにより、「はまなす」間合い編成の「海峡」充当にあたり、編成組み換えの必要が出てきました。「はまなす」の青森到着後、青森運転所に引き込んだ同編成は、寝台車を含む<スハフ-オハネ>の2両を切り離し、<スハフ-オハ-オハ-オハ-スハフ>の5両を海峡に充当するようになりました。「海峡」運用の終了後、「はまなす」への充当前に再び寝台車ユニットを連結することになります。

この関係かどうか断言はできませんが、この年の3月改正で「海峡」の14系充当列車に変更が出ています。当初、朝の下りは1号から始まる運用に50系を、3号からの運用に14系を充当していましたが、これらを入れ替えて14系は1号から運用するように改められています。夜に青森に戻ってくる時間が早まるので、「海峡」が多少遅延しても、余裕を持って寝台車の連結作業が行えるようにとの配慮かもしれません。

1991年12月の14系配置

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14系定期列車組成表(1991年12月)

さらに5ヶ月後、12月時点の配置表です。初めてオハが減少していますが、これは北斗星の個室率向上のための種車に使えるオハネが払底したため、ついに座席車までもが種車として使われるようになりました。

この時制作された「ソロ」によって余剰が出た北斗星のオハネフを活用して、有名な「はまなす専用車」スハネフ14-550が誕生し、「寝台車ユニット」中のスハフを置き換えています。

1992年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(1992年3月)

92年3月には「大雪」の気動車化と特急格上げが実施され、同時に「オホーツク」に改称されました。「利尻」の例と同様に気動車併結対応化改造とあわせて方転が行われています。これで、未改造の客車のまま残存する寝台車編成は「まりも」のみになりました。

オハの配置数は12月時点で未了だった北斗星向け「デュエット」化改造を計上して35両になりました。14系からの24系化改造はこれで終了し、以降の「北斗星」用個室車は余剰の24系開放B寝台車からの改造で行われるようになります。

1993年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(1993年3月)

翌年93年には未改造のまま残存していた「まりも」の特急化と気動車化が行われ、初めてオハネに対しても気動車化改造が行われました。これにより、座席車は「はまなす「海峡」以外の定期運用を失っています。「海峡」編成の考察を行う上で、他の列車への充当数を気にしなくて良いのは助かりますが、いくらなんでも余り過ぎです。

この頃、それまで行われていたJR東日本の12系による臨時「海峡」の運転が終了した*5らしいのですが、この14系の余り様を見ればそれも頷ける話です。

1994年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(1994年3月)

前年の改正で「まりも」運用から離脱したドリームカーが、93年5月頃から「はまなす「海峡」にも組み込まれるようになりました。側面の「MARIMO」のロゴも95年頃までそのまま残存していたことが知られています。

また、函館運転所の配置数が9両増加しています。

この頃の繁忙期の増結パターンは、札幌出発時点で「はまなす」に増結される「札幌増結車」と、青森で寝台車が切り離された後に函館で連結される「函館増結車」の2段階によってフル編成が組成されていたと思われます。今回の転属はこのうちの「函館増結車」を函館所属車で運用することを意図したものではないでしょうか。

1998年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(1998年3月)

さて、一気に4年ほど飛びました。98年の配置表です。

96年末に座席車の余剰車が整理され、スハフ6両、オハ5両が一斉に廃車となりました。座席車の配置数では札幌より函館の方が多くなっています。

また97年に2段式のカーペットカーが登場しており、「はまなす」4号車、「海峡」2号車に連結されています。これ以降、「はまなす」の所定編成は「はまなす」廃止まで変化しませんでした。

2000年3月の14系配置

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14系定期列車組成表(2000年3月)

朝ドラとのタイアップで「SLすずらん」を運転するにあたり、14系から3両が専用客車として旭川運転所に転出しました。スハフが1両しかありませんが、反対側の編成端には「カフェカー」スハシ44が連結(後に連結位置が入れ替えられてオハ14 519に尾灯を取付け)されるなど、少し風変わりな編成でした。この「SLすずらん」運転開始直後の99年6月にスハフが1両廃車になっていますが、なぜすずらんに連結しなかったのか非常に不思議です。SL客車の両端がスハフで揃うのは、「海峡」廃止による余剰車が出るまで待つことになります。

2002年12月の14系配置

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14系定期列車組成表(2002年3月)

2002年12月、「海峡」の廃止に伴って座席車の配置数は大幅に減少しました。残るは引き続き「はまなす」に使用される車両と、気動車組込みの寝台車、そしてSL用客車です。表に3両残っている函館車も、翌年までに廃車されています(なおこのうち1両は例の1段カーペット車です)。

というわけで、長らく追ってきた14系配置の変遷もこれで終了です。ここで見てきた14系の運用の変化をもとに、冒頭の配置変遷表を再掲してみましょう。

配置表を考察する

冒頭に上げた配置の変遷表をもう一度見てみます。

オハ14形

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オハ14は、津軽海峡線開業時点では全車が札サウ(札幌運転所)に所属しており、特に形態差もなかったことがわかります。翌年1989年から、函ハコ(函館運転所)に転属するものや、ドリームカーに改造される車両が出てくるというわけです。

まず全数を見ると、1991年頃と1996年、2002年と段階的に減少(=廃車または他系列への改造)していることがわかります。1991〜92年の4両は、北斗星用24系個室寝台車への改造によるものです。

1996年の廃車は「大雪」や「まりも」の気動車化で余剰化した車両を整理したものと思われますが、それらの気動車化は92〜93年でしたので、すぐに廃車となったわけではなく、しばらく予備車として確保してあったことがわかります。

最後に2002年ですが、こちらは言わずもがな、快速「海峡」の廃止によるものです。1991年と1996年が札サウ車であったのに対し、2002年のものは全て函ハコ車であったことからも明らかでしょう。1段カーペット車513を除けば、この時函ハコに所属していた車両すべてが廃車または札サウに転属となって配置がなくなっています。

次に配置箇所についてですが、前述の通り津軽海峡線開業時点では札サウに集約されていたものが、徐々に用途別に分かれていきます。ただ、あくまでメインは札サウにあって、他の配置区のものは補助的なものという印象です。

先に釧クシ(釧路運転所)について挙げておくと、当該車両所には1990〜92年頃(あくまで4月時点の配置表なので厳密ではありません)という短い期間だけ、しかもオハ14は「まりも」用ドリームカーだけが配置されていました。おそらくこのドリームカー化は釧路支社が独自の施策として行なったもので、その関係で釧路配置とした……というのが私の仮説です。札サウに戻ったのはおそらく93年3月改正と同時で、「まりも」の気動車化で用途がなくなったためと思われます。「はまなす」への充当開始は同年5月からと言われており、5月のゴールデンウィークには集約臨などに使用されていたことがわかっています。*6

一方、札サウと並ぶ一大勢力を築いたのが函ハコです。1989年に8両が配置されてから、94年に倍の16両が、2000年には20両が配置され最大勢力となっています。この時点で札サウ所属のオハ14はドリームカー5両、カーペットカー2両と一般車2両で、むしろこの2両がどのように使用されていたのか非常に気になりますが、以前取り上げた『気動車客車編成表』を参照すると、スハフと組んで4両編成ではまなすの増結車として充当したり、基本編成の5両に1両を増結した6両編成を組成したりといった使われ方をしているようでした。予備車のないカーペット車の代走に使用したこともあったでしょう。なかなか興味深いところです。

スハフ14形

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続いてスハフ14です。オハと比較して車両数が少ないことや、電源供給車であるため短編成であっても必要不可欠であることなどから、オハ14と違って大量廃車が出たタイミングは1996年だけです。このとき6両が廃車されていますが、他に98年に1両、2002年に2両の廃車が出ているようです。それ以外は「はまなす」廃車まで残存しているので、スハフ14はオハ14と違って「海峡」廃止後も過半数が生き残ったことになります。

まず釧クシですが、オハ14の「ドリームカー」の所属と同じ期間に2両だけ配置があります。編成中1両組み込まれ、それが2編成分ですから計算が合いますが、予備車がありません。おそらく運用離脱を要する大規模点検では、札幌到着後に札サウ車に差し替えを行い、そのまま札幌側で検査を受けたものと思います。

一方札幌に次ぐ大規模配置区となった函ハコですが、オハ14ほどの配置は見られません。1989年に4両が配置されてから、94年にはオハの数が倍増していますが、スハフでは2両増にとどまっています。そして、その後2002年まで配置数に変化はありません。スハフ6両に対してオハ20両というのは、給電能力を見ると決して過大というわけではありませんが、短編成をたくさん組成するには足りません。快速「海峡」が後年の「はまなす」と比較して電源効率の良い編成を組んでいたことが伺えます。

この時点での札サウ車は6両配置ということで、間にカーペットカーとドリームカーを連結した基本編成を組成すると、残りは一般車オハ2両を挟んだ4両編成が1本作れるのみです。前述のようにその4両で増結編成を組成したり、バラして基本編成に組み込んで代走や増結をさせたり、といった使われ方をしていたのでしょう。

 

さて、ここまでダラダラと考察のような感想のようなものを続けてきました。当時を知らず、また詳細な資料にも乏しい以上、推測ばかりが並ぶ形になりますが、「なんとなくこんな感じに使われてたんだろう」というイメージが湧く気がします。

ここまで来るといよいよ本題の「14系快速海峡はどのような編成が組まれたか」という話になりますが、最近興味深い資料を入手できましたので、そちらの整理に再び時間をいただきたいと思います。

牛歩のようではありますが少しずつ「海峡」の編成についての研究(といえるほどでもないですが)を進めていきますので、ご興味のある方は気長にお待ちいただければと思います。

 

また、いつものお願いですが、何か資料をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひご連絡をいただけますと幸いです。

 

それでは、ひとまず今日はこれにて。

*1:はまなす 1988年3月分編成記録 - 北斗星24系客車データベースwiki

*2:仮に「はまなす」以外の各列車に2両ずつ増結を行った場合、28両中14両はそちらに使われる計算です。「はまなす「海峡」にはそれらを引いた14両から増結を実施しなければならず、予備車も必要なことを考慮すると5連2本程度が現界ではないでしょうか。なお個別の増結事例については次回以降改めて取り上げることにします。

*3:Nゲージ×実車 14系500番台(1) 寝台急行利尻など | 重単5175(Ameblo版),

KATO 14系500番台(2) 急行天北など [Nゲージ×実車] | 重単5175(Ameblo版)。私の愛読ブログの一つです

*4:1列車<北斗星1号>へのスハフ14の増結運用

*5:『鉄道ファン』93年9月号

*6:『鉄道ファン』93年9月号

【旅行記】初訪台で普快車に乗る(その3)

前回の続きです。2018年の台湾旅行記、最終回です。

 

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翌朝、再び高雄駅へ。昨日ちゃんと撮らなかった仮駅舎、今はおそらく既に解体されたものと思います。


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地下化工事の真っ只中ということで、もう少し地上駅を見学しておくべきだったのですが、昨晩は疲れていてそれどころではなく、この日は台鐵に乗らないのでその機会は失われました。


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この日は新幹線(高鐵)で一気に台北に戻る予定で、前日の疲れもあって朝はかなりのんびりした出発でした。

高鐵は台鐵の高雄駅から少し離れた左營(Zuoying)駅から出ています。

高雄から左營までは台鐵でも行けますが、いろんな鉄道に乗っておきたいのでここは地下鉄(高雄捷運)で行きます。


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みなみおかやま、ではありません。

二月台というのは五月台(さつきだい)の親戚ではなく、2番線という意味。


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左營に着くと、巨大なJR東日本の広告が目に入りました。


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羽田・成田からのアクセスが記載されていますが、意地でも京急・京成に乗せまいという意志が感じられます。

路線図がそこそこ正確なのに、東京タワーとスカイツリーのイラストの位置がめちゃくちゃなのが面白いです。


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高鐵の左營駅です。隣接する台鐵の駅名は新左營となっていて、台鐵の左營駅はまた別のところにあるというのがややこしいですね。日本でいえば新大阪駅の新幹線のりばだけが「大阪駅」になっている感じでしょうか。


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高雄駅周辺の連続地下化事業のPRコーナーがあり、完成後予想をモデルにした精密な模型が展示されていました。


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今はこの模型の姿にだいぶ近づいているのではないかと思います。再訪したいですね。


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台鐵側の施設です。商業施設が多数入っていて、高雄駅より栄えている感じでした。入りませんでしたが、見慣れた店名が……。


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源吉兆庵も。

台湾の人で日本語を話せる人は、日本統治時代を経験されたお年寄りを除けばそれほど多くないそうですが、一方でひらがなやカタカナがわかる人は結構多いらしく、日本の店名や品名がそのままひらがな表記される例を結構見かけました。

なんでも漢字に直してしまう中国とは対照的です。


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何やら行列が出来ているので見にいってみると、駅弁屋でした。そう、あの有名な台鐵便当です。発車時刻が近づいてきていたので、ここで便当を買ってホームに下りることにしました。

余談ですが、台湾では当時からレジ袋が有料だったので、必ず袋が必要か聞かれます。要らなければ不要(Bùyào)と答えるように、という内容のネットの記事を読んでいたのでその通りにしたのですが、少し変な顔をされたので発音がおかしかったかな?とその時は思いました。

日本に戻ってから、中国・台湾と日本のバイリンガル(トライリンガル?)の人のYouTubeを見ていたら、不要より不用了(Bùyòngle)の方が口調が柔らかいというお話だったので、次回訪台した時に実践してみたいと思います。


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さてさてホームに降りました。日本製の700T型新幹線がずらりと並んでいます。11:55発の124次列車です。

ちなみにこの切符を買う時は、実践も兼ねて窓口でやりとりしてみました。「你好,124次,到台北,3个人」……我ながら酷いカタコトですが、無事に通じました。


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発車したらさっそくお弁当タイム。高雄地域の掛け紙ということ南迴線あたりの景色が描かれていました。60元、日本円で240円くらいです。


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中身はこんな感じ。

この台鐵便当はかつて台湾全土の主要駅で売られていたものが一旦終売となった際、復活を望む声が大きかったことから近年販売を再開したという経緯があるそうで、その人気度合いは駅弁屋の行列を見れば明らかでした。何より安いですし、日本人にも合う甘辛のお肉はとても美味しかったです。

 

写真は飛んで台北に。駅名標の写真すら撮っていないのですが、同行の母と弟は既に慣れない異国の地で移動ばかりしていてかなり疲労しているようだったので、余計なことはせず、さっさとホテルにチェックインしてしまうことにしていました。

 

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チェックインしてびっくり。高額なために参加を断念し自力手配に切り替えた、この日参加するライブの公式ツアーと同じホテルでした。たしかに母と弟のために安宿ではなくそれなりに日本人が泊まりそうなビジネスホテルを探して予約しましたが、まさか被るとは……。

とはいえ、十数万かけてやってきて泊まるホテルではないです。


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さて、ホテルに荷物と母と弟を置いて、私はライブ鑑賞に参ります。

ここは桃園空港メトロ(桃園機場捷運)の體育大學(Tǐyù Dàxué)駅。大学が保有するホールが会場みたいです。


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私の好きなアーティスト、水樹奈々さんのライブです。このためにわざわざ台湾まで来てしまいました。

ライブの内容は既にさまざまな方がレポートしていらっしゃるので割愛。

 

翌朝。

初訪台した日本人の97%くらいが行くであろう台湾有数の観光名所、九份に行きます。


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捷運で松山駅に来ると、何やらPRコーナーが。


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松山繋がりということで、ここではJR四国とタイアップしているみたいです。

床には四国と台湾の路線図が。しっかり下灘駅が入っているのはさすがですね。


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松山にも駅弁売り場が。客車を模した店舗でなかなか凝っています。この時は買いませんでした。


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そういえば京急ともタイアップしていましたね。


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ホームに降りると、今度はスペーシア色の自強號が。台鐵さん、タイアップしすぎじゃないでしょうか。


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九份の最寄駅は瑞芳(Ruìfāng)駅です。それほど遠い駅でもないのですが、直近で日本製の特急「普悠瑪」があったのでせっかくならと窓口に買いに行ったのですが、残念ながら「没有(売り切れ)」と言われてしまいました。普悠瑪は全席指定なので、諦めて普通列車で。

写真は乗ってきた列車を瑞芳で撮ったもの。韓国製のEMU500型です。


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瑞芳駅は支線の深澳線が分岐することもあってか、しっかりとした佇まいの駅舎です。ただ構内は思ったよりも狭く、同じ列車で到着した観光客でひしめき合っていました。


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バスで山道を登ること20分ほどで九份に到着。なかなかアクロバティックな走行で、車酔いの激しい私はあまり長時間乗っていたくありませんね。

入り口すぐのところにセブンイレブンがあるのはもう時代の流れで仕方ないのでしょうか。


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断崖に取り付く商店街を抜けると見晴らしの良い場所に出ました。人が多すぎるところを除けば良いところです。


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さて九份といえば、日本では「千と千尋の神隠し」の舞台に“似ている”ことで有名です。舞台のモチーフになっている説は残念ながら公式に否定されていますが、なるほど確かに雰囲気は似ています。


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特にこことか。ここに見えているお店がいい雰囲気なんですよね。


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阿妹茶樓という、これまたここに来た日本人の8割が入る気がするお茶屋さんです。せっかくなので入ってみました。

初っ端から日本語で案内されます。価格帯も高いので、台湾人はわざわざ来ないのでしょう。


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疲れもあってかだいぶのんびりしていました。

ところで帰りの飛行機は桃園20:40発。時間も読めないので夕飯は空港で済ます予定だったのですが、結局夕方まで九份にいました。

 

九份には台北方面へのバスが次々にやってきますが、私は車酔いが怖いので行きと同じく瑞芳から台鐵に乗ります。車酔いも怖いですが、台湾のバスの運転が怖いんですよね……。


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やってきた莒光號に乗りましたが、だいぶ混んでいて立ち席だったので、本数が増えそうな七堵(Qīdǔ)駅で一旦降りました。


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乗ってきた莒光號を見送ってびっくり。荷物車がついています。


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よく莒光號は日本の急行に相当する列車だと説明されますが、まさかここまで日本の国鉄急行の趣きがあるとは思いませんでした。今度は莒光號目当てに訪台したいですね。


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日本製振り子特急の「太魯閣」が通過。弟はこれに乗りたかったようですが、おそらく花蓮帰りらしき行楽客で満員でした。


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基隆始発の區間車が来たのでこれで帰ります。これも日本製のEMU800型です。ロングシートですが、新型とあってさすがに快適でした。


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帰りは台北で下車。向かいのホームに復興號らしき客車列車がいました。いろいろ気になるところですが、また今度。


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桃園空港へは桃園機場捷運で。ですがその前に、実は士林夜市で夕食にしていました。碌な写真を撮っていないのでスルーですが……。

なんでそんな時間的余裕があったかといえば、これ。実は台風接近のために、日本方面の飛行機の時間がめちゃくちゃになっていたのでした。20:40発のPeachが深夜2:30発予定となっているのがわかります。


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ベンチで仮眠など取りながら、深夜の桃園空港を後にしました。

羽田着は5:30頃で、実質夜行便ですね。結局移動に疲れてばかりの旅行になりましたが、まあこれはこれで良い思い出になりました。

 

そもそも海外旅行などほとんどしたことのない私が意を決して国境を越えた旅行でしたが、怪しい中国語と怪しい英語に怪しい日本語を駆使すればなんとなく通じることがわかったので、今後また海外旅行に行ける時代が来れば、ぜひ再訪したいと思います。

 

そんなわけで、模型弄りのネタ切れのために挿入した旅行記は以上で終了です。模型ブログなので需要はなかったと思いますが、お付き合いいただいた方はどうもありがとうございました。

なお3週間も稼いだわりに模型ネタのストックは未だにできていませんので、悪しからず……。