新綱島検車区業務日誌

主に模型いじりの記録を、備忘録として。

【入線報告】マイクロエース 西武001系Laview(ラビュー)入線!

お久しぶりです。

 

いろいろと個人的な都合が重なり、長らく模型弄りができていません。しかしこのままブログを放置していると模型弄りを再開する機会すら失ってしまいそうなので、ここらで一旦更新を挟み、自分に圧をかけていこうかと思います。

 

さて既に数ヶ月が経過してしまっていますが、今年の5月19日に西武001系「Laview」がマイクロエースから発売になっています。

これを入線させるか否かはかなり悩んでいまして、発売時は一旦購入を見送りました。幸いにも量販店がかなりの数を仕入れてくれていたようで、丸2ヶ月ほど悩んだ7月にも在庫が残っており、発売時よりも多少の値引きが行われていたことも相まってようやく購入に踏み切りました。

 

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マイクロエースが持てる技術の全てを投入した渾身の力作、まずその外見は実車の特徴を完璧に捉えています。

一度見たら忘れることのない印象的なフォルムは、宇宙船やら弾丸やら、はたまた座薬などとまで一部は呼ばれていましたが、この突飛な車両を構想し、さらに現実のものとしてしまった西武の車両開発陣には脱帽というほかありません。そして、それを1/150スケールで製品化してしまったマイクロエースの開発陣もまた然り。


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実車同様に8両入って、税込み定価がギリギリ4万円を切る程度の価格設定。なかなか高価な設定で、購入を即決できなかったのはこの値段によるところが大きかったのですが、後述する新機軸を思えばむしろかなり安い設定だろうと思います。

 

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記事執筆時点で、Laviewの実車には一度だけ乗車したことがあります。

以前記事にした「レッドアロークラシック」乗り収めの際、翌朝の出勤に間に合うよう始発の「むさし」に乗車したところです。

アルミのさらさら・すべすべとした車体に、大きな窓から見える黄色の座席が大変特徴的です。


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ここまで思い切って窓を広げた例はなかなかありません。落ち着かないかと思いきや、案外気にならないもので、この時は前日の疲れもあって池袋まで爆睡していたのですが、いつか天気の良い日に秩父まで乗ってみたいと思わせるには十分でした。


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側面を横から見るとこんな感じ。後の写真と見比べていただくと、この大きな窓が決して模型的な「オーバー」な表現でないことがわかります。


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さて模型です。印刷のマイクロエースといえどさすがに実車のすべすべした車体をそのまま再現とまではいかなかった模様ですが、各種標記がしっかりと入っていますので、個人的にはそこまで気になりません。


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先ほど取り上げたように、この車両の特徴は先頭部形状だけではなく、この大きな側窓もその一つ。真横から見れば座面がはっきりわかる位置にまで窓が来ています。足の「すね」のあたりまで外から見えてしまうのではないでしょうか。ある意味、ここの再現こそこの製品で最も力を入れられたところと言えるかもしれません。


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そう、「ただ窓が大きいだけ」といえど、Nゲージ製品としてこの車両を作る上では大変大きな課題となります。

この写真は、8両中1両が該当する「モーター車」です。車両の床下部分にモーターが収められているわけですが、実際には通常の車両であっても窓のすぐ下、ボディの淵あたりまでモーターの入った動力ユニットが占領してしまうところに、窓を下方向へ拡大すれば本来なら自ずと動力ユニットが丸見えになってしまいます。

ところが、何を思ったのかマイクロエース、なんとこのLaviewのために動力ユニットを新開発。ラビューの大窓でも動力ユニットが見えないような、超薄型の動力ユニットを開発してしまいました。


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少々意地悪な比較になりますが、同じく通常の車両より低いところに窓がある215系のモーター車と並べてみました。215系の方は1階席の窓が全て動力ユニットで埋まっている一方、Laviewでは全く見えていないことがわかります。

Laview最大の特徴ともいえる大きな窓を再現するにあたって、その窓から動力ユニットなどという「余計なもの」が見えないようにするために、動力ユニットそのものを新設計する……。なかなかできる判断ではありません。

もっとも、これによって今後の製品化の幅が広がるでしょうから、マイクロエースはさらに他社にないような製品の製品化を進めてくれるかもしれません。


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かくして、当区には歴代の西武特急車3形式が揃い踏みとなりました。

 

初代レッドアロー・5000系の開発の際、池袋〜秩父という短距離に有料特急は流行らないとされていたそうですが、当初4両編成で登場した5000系は登場から5年ではやくも6両化を実施、過渡期には6+4の10両編成まで運転されたと言われています。

 

5000系6両編成の定員は400人丁度。その後、10000系ニューレッドアローは7両編成で406人、001系Laviewは8両編成で422人と、車両数は5000系と001系の比較で2両も増えていながら、編成定員はほとんど増えていません。このLaviewが纏う前代未聞の外見からも、いかに秩父アクセス特急が期待されて生み出された存在かが察せられるというものです。

 

令和のこの不況の時代に、あえてバブリーなロマンを込めて生まれた001系Laview。実車・模型ともに、他車にない特別さを期待されて生み出されました。全ての関係者に、幸の多からんことを。

【フロントページ】快速海峡の編成について【目次】

不定期で連載している「快速海峡の編成について」という机上研究シリーズが10回を超え、目当ての記事にアクセスしづらくなったのでフロントページを作成しました。

インデックスとしてご利用ください。

目次

 

記事一覧

快速「海峡」の編成について(その1)

「その1」では、編成研究に入る前に、前提知識として牽引機であるED79形についてまとめています。Wikipedia等で既に勉強されている方は、改めて読む必要は無いかもしれません。

 

快速「海峡」の編成について(その2)

「その2」では、「その1」に引き続き前提知識の確認です。50系5000番代車についてまとめていますが、やはりご存じの方は読み飛ばしていただいて構いません。

 

快速「海峡」の編成について(その3)

ここから実際の編成記録を元に、50系による編成パターンの考察を行っていきます。

「その3」では、記事執筆時点で収集済みであった、1988年から1996年までの編成をまとめています。「基本編成」と「増結車」の概念などはこの記事から登場します。

未だカーペットカーなどが登場していない頃、座席車だけで組成されていた時代の編成記録です。

 

快速「海峡」の編成について(その4)

「その4」でも引き続き50系編成について考察します。1997年のカーペットカー登場から、カラオケカー・ドラえもんカーなどの変わり種を連結した多様な編成が登場します。2002年の列車廃止まで5年程度ですが、編成記録の数は「その3」よりも多く集まっています。

 

快速「海峡」の編成について(その5)

「その3」・「その4」の公開後に読者の方から教えて頂いた情報を元に、1988年~2002年の運行全期間にわたって「組成がどのように変化してきたか」をまとめています。50系編成について一番まとまっているのがこの記事なので、ここから読み始めても良いかも知れません。

 

快速「海峡」の編成について(その6)

「その5」までは50系の編成について取り上げましたが、ここで初めて14系について触れます。「その5」では、「その1」や「その2」で行ったように、考察する上での前提知識の確認として14系500番代車についてまとめています。

 

快速「海峡」の編成について(その7)

14系は50系とは異なって「海峡」意外にも道内の急行列車などに使用されており、配置区も複数ありました。「その7」では14系の編成考察に入る前に、各年代ごとに14系がどれだけの数配置されていて、「海峡」以外のどのような列車に使用されていたのかをまとめています。ここからの逆算で、「海峡」にどの程度の両数しようできたのか、大まかな数を推測することができるかもしれません。

 

快速「海峡」の編成について(その8)

話は一旦50系に戻ります。TOMIXから50系「海峡」Nゲージ製品の発売が決定したため、既発売の製品からどのような編成が組めるのかをまとめています。「メーカーの編成表を信じてはいけない」と、少々強気な内容にしていますが、もし史実通りに編成を組みたければ、ぜひ読んでおいていただきたい内容です。

 

快速「海峡」の編成について(その9)

「その8」ではマイクロエース製品について、「その9」ではTOMIX製品について書いています。TOMIXNゲージ製品発売前のものですが、編成を組む上での個人的なコツのようなものを紹介しています。

 

快速「海峡」の編成について(その10)

Nゲージ製品発売を目前にして、製品の設定年代と思われる初期(1988年~1990年頃)の編成例を挙げて、製品からどのような編成を組むことができるのか改めて確認しています。「その3」公開後に得られた編成記録を追加してあるため、初期の編成を知りたい方には「その3」よりこちらの方が纏まっているかと思います。

 

快速「海峡」の編成について(その11)

「その6」「その7」で触れてから後回しにしていた14系編成についてようやく考察しています。ここでは1988年~1996年頃の「海峡」と「はまなす」の編成記録をもとに14系の編成考察を行っています。実は50系よりパターンが複雑かもしれず、全容を明かしたとはとうてい言えない内容ですが、それでもその一端をご理解いただけるのではないかと思います。

どの順で読めばいいの?

これらの記事は、私が「わかった順」に書いていますので、順に読むとかえって分かりづらいところがあるかもしれませんし、何か知りたいことがあって読まれる方は、すべての記事をお読みいただく必要はないと思います。

想定される“需要”ごとに、おすすめルートを紹介します。

鉄道模型の編成の参考にしたい

おそらくこのブログにたどり着かれる方の中で一番多いのが模型ユーザーさんではないでしょうか。かくいう私も、Nゲージの編成の参考にするためにこの考察を始めました。

模型を組むうえで50系の編成ルールそのものを知りたい方は、「その5」や「その10」をお読みいただいて、興味が湧いた方・もっと読みたいという方は「その3」「その4」に戻っていただくとよいかなと思います。

模型製品の仕様そのものについての記事は「その8」と「その9」にあるので、「このセットで組める編成を知りたい」という方はそちらをご覧ください。

14系についてはまだ記事を書き始めたばかりで記事が少ないのですが、TOMIXから発売された14系「海峡」セットを元に組まれる方は「その11」をお読みいただくと参考になるかもしれません。

当時の編成そのものを知りたい

模型を組む、といった目的ではなく、50系「海峡」の編成そのものについての理解を深められたい方は、「その3」から「その5」まで順番にお読みいただくと、私が結論づけた編成パターンについて「どうしてそう結論するに至ったか」という流れがわかりやすいのではないかと思います。実際の編成例を順にご覧いただいて、私と同じ結論に至られるか、または私とは違う法則に気づかれるか……ぜひ編成研究の面白さを体験していただきたいと思います。

14系についてはまだ記事が少ないですが、前提として「その7」をお読みいただいた後、「その11」を読んでいただけると良いかなと思います。

もちろん「その1」から順に読んでいただいても構いませんが……正直なところ、初期の記事は今読むとお恥ずかしいものでして、あまりおすすめはできません(笑)

お読みいただくにあたってのお願い

いつもの但し書きなのですが、このシリーズは模型の参考にしようと「快速海峡 編成」で検索をかけてもほとんどヒットせず、あっても数例のみで「何を何両どの順で繋げばよいか」という理解に至れなかったことから、「じゃあYouTubeで過去の動画を調べて、編成例を書き出してみたら法則がわかるのでは?」と思いついたものです。

なので当時を知るわけではなく、もちろん「中の人」等でもありませんので、間違った結論に至ってしまっている可能性は大いにあり得ます。参考にしていただければもちろん嬉しいのですが、あまり全面的に信用なさらないようにお願いいたします。

参照元YouTubeやブログ等、ネット上の公開情報である場合は極力URLを、書籍の場合は書名等をできる限り掲載していますので、もし興味のある方がいらっしゃいましたら元のソースに当たって頂いた方が確実です。

また、編成記録は著作物ではないため引用していること自体には問題ないと考えていますが、もしリンク先のページの著者様で「リンクを貼らないでほしい」等がありましたら遠慮なくご連絡ください。すぐに取り下げさせていただきます。

本シリーズ公開開始後、何名もの方に情報をいただいています。その全てを記事に反映することができておらず申し訳なく思っておりますが、実際に掲載しているか否かに関わらず、その全てについてとてもありがたく参考にさせていただいています。本当にありがとうございます。

もしここをお読みの方の中で、何かお手元に編成記録やその他資料をお持ちの方、もしくは資料価値のある雑誌・書籍等についてご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡をいただけますと幸いです。なかなか総括的な記事が作られにくい立ち位置の列車ですが、間違いなく「面白い」列車だと思っていますので、ぜひ他の皆さまにも研究成果を共有したく思っています。何卒よろしくお願いいたします。

 

それではまた。今後も資料を整理でき次第、記事を執筆してまいります。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その11)

机上研究シリーズ第11弾です。

以前から不定期で快速「海峡」の編成に関する記事を書いております。今回はいよいよ14系編成についてです。

 

記事が増えすぎてバックナンバー一覧を載せると邪魔になってきたので、過去記事を参照されたい方はサイドバーまたはカテゴリーからお願い致します。

 

目次

 

14系「海峡」とは

青函トンネルの開通に伴って運行を開始した、青森~函館間の快速「海峡」は、1988年の運転開始から2002年の廃止まで、全列車がいわゆる客車列車によって運転されていたことが知られております。主に「海峡」専用車として改造の上用意された50系5000番代による編成と、他列車の間合い運用などで充当された14系による編成に大別されるのですが、実は14系編成と一口に言っても、いくつかのパターンに分類されます。

というのも、快速「海峡」に充当された14系には、

・急行「はまなす」の間合いによって定期列車に充当されるJR北海道14系500番代札幌

・定期50系運用の代走や臨時列車として運転されるJR北海道14系500番代函館常駐車

・急行「八甲田」の間合いなどで臨時列車に充当されるJR東日本14系0番台車

などの種類が存在しました。

JR東日本車による運用としては、「MOTOトレイン」運転日にマニ50形やオハネ14形などを連結したままの急行「八甲田」編成が、快速「海峡」の80番代臨時列車として運転されていたものが有名ですが、「MOTOトレイン」運転日以外にも座席車のみの編成が間合い運用された他、亜種としては波動用の12系を臨時列車や定期列車の代走として使用したパターンもあり多岐にわたります。

これらJR東日本車による運用については今後改めて紹介することとし、今回は上記3種のうち2種類、JR北海道所属車による編成について取り上げることとします。

なおいつもの但し書きになりますが、本記事は筆者が各種書籍や動画等を参照し、独自に編成を書き出して紹介するもので、特に考察内容については誤り・勘違い等を含む可能性がありますことをご理解ください。

「海峡」に運用された14系

14系車両配置の変遷(スハフ14)

14系車両配置の変遷(オハ14)

これらの画像はJR北海道所属の14系の車両配置と形態の移り変わりを可視化したもので、緑色が札幌、青色が函館を表わしています。

これについての詳細は、過去に解説記事を出しているのでそちらをご参照いただくとして、ここでお伝えしたいのは、「当初は全車が札幌所属」「徐々に函館配置車が増えていき、海峡廃止時はほとんどが函館所属」ということです。

さきほどの14系編成の種類分けを行ったときに、「函館“常駐”車」と表記したのはこのためで、時代によって所属と運用起点の関係が若干変わることになります。(深く理解されたい方でなければあまり考えなくても大丈夫です)

また、定期14系運用はその全てが青森~札幌間の急行「はまなす」の間合い運用として運転されたことから、急行「はまなす」の編成記録も快速「海峡」の編成に直結しますので、今回はそちらも研究対象としました。

さて前置きはこのくらいにして、実際の編成例を見ていきましょう。

年代別にみる14系「海峡」の編成

50系編成の記事の際にもご紹介しましたが、編成記事を書くに当たっては個人サイトやYouTubeの動画を大いに参考にさせてもらった他、書籍としては1990年以降J・R・Rより毎年刊行される『気動車客車編成表』や、今年の冬に鉄道ピクトリアル誌の別冊として発売された『国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』などを主に参考としました。

またYouTubeについては、当時の映像を数多くアップロードされているmatuno kura様に特別にご協力をいただき、高解像度版のデータを撮影日・列車名付きでご提供いただきました。

14系充当列車は50系と比較して絶対数が少ないため編成例が集まらないことを覚悟していましたが、これら資料を参照できたためかなりの数が集まりました。今回はそのうち運転開始(1988年)から1996年までの編成を整理して紹介します・

1988年頃の編成記録

1988年頃の14系快速「海峡」

凡例については説明不要かと思いますが、列車の進行方向にかかわらず左を函館方・右を青森方として固定し、牽引機については省略しています。

今回区別するのはスハフ・オハの2車種と、スハフ車の向きです。車番については省略しています。ちなみに「はまなす「海峡」への充当は、スハフ車に限っては青函トンネル通過対応改造が必要で、1988年3月の運転開始時点では501,502,503,504,505,507,556,557の計8両が改造済み、その後同年10~12月に506,508,509,551,555が追加改造され計13両が対応車となっています。

【図1-1】出典:『JR 気動車客車情報 88年版』

先ほど紹介した『気動車客車編成表』誌の前身に当たる『気動車客車情報』誌掲載の編成で、特定日の編成ではなく標準的な編成の例が掲載されています。

編成は両端にスハフ、中間にオハを連結したシンプルな5両編成で、繁忙期以外はこの編成で運転されていたものと思われます。

【図1-2~4】出典:『鉄道ファン』1988年6月号(通巻326号)p.62
【図1-5】出典:『鉄道ピクトリアル別冊』p.76*1

図1-2から-5までは1988年3月13日の開業初日の編成記録となります。

図1-2は定期14系運用で、所定5両編成のところ、5両を増結した10両編成での運転です。青森方スハフが「増1」号車となっているのは、この車両が海底駅見学者専用車であったためで、この専用車を「増1」号車とする扱いは1988年度のみ見られた姿です。

当時は1号から16号までの「海峡」8往復のうち、下り3・13号/上り10・16号が14系運用で、前日夜に上り急行「はまなす」として出発した車両が翌朝に青森に到着、そこから3→10→13→16号と運用された後、青森から下り「はまなす」として札幌に向かうのが一連の運用となっています。

ただし繁忙期については、旅客需要と車両供給のバランスを考えて、運用途中に函館で編成の増解結が行われていたことが知られており、その増解結作業は「海峡」の折返し間合いだけではなく、「はまなす」が夜間に函館に停車した際にも行われています。

それを踏まえて図1-3以降をご覧いただきましょう。まず図1-3ですが、こちらは同日夜に青森を出る下り「はまなす」で、車番の記載はしませんでしたが図1-2と完全に同一の編成を組んでいます。ただこの日のこの列車では一つのエピソードが残されていて、実はこの10両のうち青森方1~5号車は函館で解結予定であったところ、その案内をJR東日本側が怠った(認識していなかった?)ために急遽終点札幌まで10両全車を運用したとのこと。繁忙期ともなればそんな余裕はないわけですが、改正日は「海峡」以外に車両増結を実施しておらず、たまたま運用に余裕があったのでしょう。

そして同日、反対に札幌を発車して青森へ向かった上り「はまなす」の編成が図1-4ですが、青森方5両には「増1〜5」の号車番号が振られています。これら増結5両は札幌から連結されていたものではなく、未明に停車する函館で連結されたものです。つまり、札幌を1〜5号車の5両編成で出発し、途中の函館で5両を増結、10両編成になって翌朝の青森に到着したということになります。

さて、長らく同日の編成については図1-2〜4のように鉄道ファン誌に掲載の編成しかわからなかったのですが、最近発売の鉄道ピクトリアル別冊によってもう1編成が明らかになりました。それが図1-5で、同日の海峡8号の編成です。

以前の記事で、この日の50系編成が4運用中2運用が10両編成を組んでいたことから、50系運用のうち1運用は他形式で代走されていたはずであるという話をしました。海峡8号はまさに本来50系が充当されるべき列車ですので、見込み通り14系で運用されていたことが証明されました。しかし、その編成はとても不思議なものが組成されています。

図1-5を見ていただくとわかりますが、両端スハフを除いた中間の8両全てがオハになっています。一般に北海道用の14系は、暖房能力などの強化のため、スハフの給電能力が自車を含めた4両までであるとされていますが、この編成記録ですと明らかにスハフ1両が自車含めた5両に対して給電しているようです。

3月13日ですから厳冬期は脱しているとはいえ、北海道の冬はまだまだ寒いものと思われますが、電気は足りていたのでしょうか。それとも4両給電という話が誤りで、冬季でも5両まで問題なく給電できたのでしょうか。

また、車番を細かく見てみると、図1-5の編成のうち青森方の5両(1〜5号車)と、図1-4で函館から増結したとされる5両(増1〜5号車)は同じ番号の車両でした。8号と折り返しの11号に充当された同編成が、函館入庫後に編成を半分に切り離して待機、未明の上り「はまなす」増結に用いられたものですが、もし下り「はまなす」のハプニングがなく予定通りに切り離しが行われていたら、上り「はまなす」の増結車には違う車両が充当されていたかもしれません。

1989年頃の編成記録

1989年頃の14系快速「海峡」

運転開始から1年が経過した1989年3月から、号車の付番が逆転しており、函館方を1号車とするよう改められています。また、上り列車のうち海底駅見学車両が存在する場合は青森方が12号車で固定されるようになっています。

【図2-1】出典:『JR気動車客車情報 89年版』

組成上の大原則が改められたこの改正以降、少なくとも号車番号の付番方法についてはこの後「海峡」廃止まで(さらには「はまなす」廃止まで)変化ありません。函館方が1号車ということは覚えておいて損は無いでしょう。ちなみに「北斗星」においてもこの改正から廃止まで函館方が1号車で統一されています。

さて、「青函ブーム」の到来で常に一定数の需要があったことから、この頃は基本編成を7両としています。50系編成の記事で度々説明をしていますが、原則として「海峡」の編成は函館方に「基本編成」、青森方に「増結車」を配置して適宜車両数を増減させて調整する方法を用いていますので、14系でも函館方7両が固定・青森方に増結車を連結……と思ってしまいがちですが、実は14系はそう簡単にはいかないようです。

【図2-2】出典:『鉄道ピクトリアル別冊』p.76*2

というのも、図2-2は「はまなす」の編成ですが明らかに基本編成が7両ではなく8両編成を組んでいます。全部で11両の編成ですが、7両の基本編成に4両を増結するのではなく、基本編成中に1両を加えた8両編成に3両編成を繋いだもので、この3両は運用途中に函館に来たいずれかのタイミングで増結・解結を行っていたものでしょう。8両編成で走行した時もあったものと思われます。

1989年となればまだまだ14系の配置に余裕が無い頃ですので、少ない車両数を需要に合わせて効率よく運用するために、さまざまな編成が組まれていたものと思われます。編成例がまだ少ないため全容は知れませんが、そのような運用も存在したという良い記録です。

1990年頃の編成記録

1990年頃の14系快速「海峡」

【図3-1】出典:『JR気動車客車編成表90年版』

さて前年まで『気動車客車情報』として刊行されていた書籍がこの年から『気動車客車編成表』に改められ、特定日(概ね4/1)の車番付き編成記録を掲載するようになりました。ここに上げたものも1990年4月1日の実際の編成記録から作成したものです。車番は省略していますが3・10・13・16号の全てが同じ車番の編成で組まれており、それらが1連の運用になっていたことがわかります。号数によって異なっているのが指定席の位置と号車番号で、海底駅見学車両の設定がある下り3号と上り10号の指定席が計3両、それ以外の列車では2両の設定となっています。

【図3-2】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

客車急行特集号の『鉄ピク』誌ではまなすの編成に関する記事がありました。5月5日ということで最大12両への増結が実施されています。

1~7号車の基本編成に対して8号車以降の増結車を連結した編成と解釈できます。11号車、12号車とスハフが連続しているのは50系編成にも見られた姿で、車両数調整の都合で1両のみ切離しが行われたりしていたのではないかと思います。

この記事の特徴として、車番と号車番号のほか車両の所属が明記されており、9・10号車のオハ14が函館車であったと記録されています。こういう運用があるとは、これだから客車の編成は面白いのです。

1991年頃の編成記録

1991年頃の14系快速「海峡」

【図4-1】出典:『JR気動車客車編成表91年版』

1990年に7両に増強された基本編成ですが、1991年4月のこの時点では6両に減車されています。この減車タイミングを確定できるソースをまだ得られていないのですが、おそらく91年3月改正からと考えて良いでしょう。

定期「海峡」の運転本数に変更は無いようですが、充当形式が変更されており、図にあるように14系は1・6・9・14号に改められています。1号への14系充当はこの後1999年改正まで続きます。

通常期の指定席位置等は図の通りで、前年のものから自由席が1両減った以外に変更は無さそうです。

【図4-2~3】出典:『鉄道ピクトリアル別冊』p.76*3

下2つは鉄ピク別冊から、同年8月の増結事例です。

この年の7月から、「はまなす」に寝台車が1両連結されるようになりました。スハネフの落成は12月なので、それまでの期間はスハフが連結されています。「海峡」としての運用時はこの函館方2両を切離し、座席車のみの編成を組みます。

いずれも青森方に4両を増結した10両編成で、「はまなす」に寝台車を含む2両を連結すると最長の12両編成となります。この場合「海峡」としては10両までしか連結できないことになりますが、2往復のうち6→9号だけは、函館を起点に増結しようと思えば追加で2両増結することができます。(この時期に実際にそのような事例があったかはわかりません)

1992~3年頃の編成記録

1992~93年頃の14系快速「海峡」

【図5-1】出典:『JR気動車客車編成表92年版』
【図5-2】出典:『JR気動車客車編成表93年版』

92年から93年にかけては変化が少なく資料もないのでまとめてご紹介。基本編成はついに5両まで減車されており、定期14系運用(「はまなす」間合い)としてはこれが最短の編成です。

なおこれらは4月1日の編成記録ですが、数ヶ月後の93年GW後から(詳しい日付は失念しました。資料を見つけ次第追記します)、急行「まりも」に連結されていた「ドリームカー」が転用され連結を開始しています。

【図5-3】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

『鉄ピク』誌から、スハネフを含む寝台車2両が連結された「はまなす」の編成です。本文に「既にドリームカーの連結が開始されていた時期だが、このように連結されない日もあった」という旨の記述があります。検査等の都合か、あるいは団臨等に使用されていたのかはわかりませんが、結果として連結開始前のような編成になっています。実例を出せていませんが、スハネフの連結を開始した1991年12月から、ドリームカー連結開始の1993年5月頃まではこの図のような編成が組まれていたと考えてよいでしょう。

1994年頃の編成記録

1994年頃の14系快速「海峡」

【図6-1~5】出典:『JR気動車客車編成表94年版』

編成中に「ドリームカー」が連結された最初の記録がこちらですが、前述のように連結開始は93年のGW後なので1年近くが経過しています。これらの編成は『編成表』誌のもので、あえて4列車を分けて載せたのには理由があり、よく見ると禁煙車の位置が列車によって異なっています。理由は不明です。

また、おそらく94年改正から、ドリームカーは必ず指定席に充当されるようになっているようです。

【図6-6】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

こちらは『鉄ピク』誌掲載の変わり種。カートレイン等の臨時列車運転時、送り込みと返却を「はまなす」併結で行うことがあり、このように寝台車や電源車が数両連結されていることがありました。この日の編成は誌面の解説によると団体列車の返却回送とのこと。カートレインもある意味団体列車ですが、ここではどちらの意味で書かれているのかはわかりません。

このような編成が組まれた際は、電源車に続いて寝台車が5両も続く堂々たる編成になり、さぞ見応えがあったものだろうと思うところです。

【図6-7】matuno kura様ご提供*4

最後にmatuno kura様動画から。編成内容は『編成表』誌のものとほぼ同一ですが、こちらは動画が出典でYouTubeにアップロードされていますので、ご覧頂くと「MARIMO」ロゴ入りのドリームカーが連結されていることがわかります。

1995年頃の編成記録

1995年頃の14系快速「海峡」

【図7-1~2】出典:『JR気動車客車編成表95年版』

『編成表』誌の編成は前年とほとんど変化ありません。次に編成に変化が出るのは97年の「カーペットカー」連結時となりますが、実際にはそれより前に「ドリームカー」の「MARIMO」ロゴが消されるタイミングあります。いつのことなのか正確にはわかりませんが、95年の年末の写真で2両ともロゴが付いているものを見たことがありますので、それ以降に消されたものと思われます。おそらく96年春まではもたなかったでしょう。

【図7-3】『鉄道ピクトリアル 2016年1月号 No.913』

またまた『鉄ピク』から。上の図7-2の2日前の編成ですが、それとは異なり編成中にオハが1両増結された8両編成で運転されています。

ちなみに2日違いの編成記録となると、単純に車両が往復しているのであれば同一の編成になりそうなものですが、図7-2とは1両も車番が一致しませんでした。どこかのタイミングで編成をまるごと差し替えたようですが、この場合ドリームカーが不足してしまうので、3月31日の編成は一般車で代走されたのでしょうか。

【図7-4】So What?様ツイート*5より許可を得て掲載

この期間は変わり映えがしないということで、1件変わり種をご紹介します。「はまなす」が奥羽本線経由・秋田発着で延長運転された際の青森~秋田間の編成で、秋田以北の定期列車区間では図中に白く表記したような形で運転されており、上り列車であれば青森で寝台車を含む4両編成を切離して秋田まで運転されたものです。日中はもちろん「海峡」として運転されるので、秋田編成にも「海峡」運用にも、どちらも単独の編成として運用して支障がないような形で編成が組まれました。

この秋田延長は比較的長期にわたって設定されたようで、年によって寝台車の両数に違いがあるなど見所があります。いずれこれのみに焦点を絞った記事を書いても面白いかもしれませんが、せっかくなので今回はこの1件だけ紹介させていただきます。

https://twitter.com/SoWhatIUjM/status/332095079953088515?s=20&t=tutmJPNlY5DCs9YFH2bW0whttps://twitter.com/SoWhatIUjM/status/332095079953088515?s=20&t=tutmJPNlY5DCs9YFH2bW0whttps://twitter.com/SoWhatIUjM/status/332095079953088515?s=20&t=tutmJPNlY5DCs9YFH2bW0w

1996年頃の編成記録

1996年頃の14系快速「海峡」(その1)

【図8-1~2】出典:『JR気動車客車編成表96年版』

『編成表』誌から基本編成の紹介です。特に変化はありません。

この年は以上、というわけではなく、おなじみmatuno kura様からいただいた資料に面白いものがあったので次の図でご紹介しましょう。

1996年頃の14系快速「海峡」(その2)

【図9-1~6】matuno kura様ご提供*6

まず図9-1は下りはまなすの編成。本題とは外れますが、連結されていたオハネ車がオハネ25形100番代車(オハネ25 240)だったのが目を引きました。この後1997年に個室車に改造され「はまなす」には連結されなくなってしまう車両です。

図9-2から-5までは同日の海峡線を撮影された動画から。真ん中の2つ、6・9号は定期14系運用で、ドリームカーを連結した「はまなす」間合い編成であることがわかります。

問題はその上下、5号と12号の編成です。図中青色で色分けを行ったこれは何かと言うと、函館所属車による定期50系運用の代走です。

当記事冒頭でも触れましたが、14系「海峡」には「はまなす」間合いのほかに函館を起点とする代走や増結運用が存在します。1996年の函館にはスハフ14が6両、オハ14が15両の計21両が配置されており、多客期の50系運用の代走や臨時列車、定期列車の増結などに使用されていたと考えられます。

このうち図9-2の5号は4両編成を組んでおりますが、14系が4両編成を組んでいた時期は存在しないので、代走運用か臨時列車でしか見ることができない姿です。

そして図9-5の12号では8両編成が組まれていますが、このうち1~4号車は図9-2と同一の車両です。つまり函館で増結を行ったということで、これこそが函館で柔軟に車両を増解結している証拠として考えていただければと思います。

ちなみにこの日の50系編成(当シリーズ「その3」に編成図があります)を見ても、50系だけで50系運用を賄えないほど50系が運用されているようには見えないのですが、走行距離の関係など何らかの調整のために運用されたのではないでしょうか。

最後に図9-6ですが、これは同日に札幌を出る上り「はまなす」なので、図9-3などとは別の編成ですが、基本編成に増結編成を繋ぐ形ではなく、基本編成の中にオハ車を組み込む形で増結が行われています。このような方法の増結がいつ頃まで行われていたのか、というところもまだ明らかになっておらず、もう少し資料を集めたいところです。

おわりに

というわけで、1988年から1996年頃までの「海峡」はまなす」の編成記録から、当時の運用方法を推測する、ということをやってみました。今回はTOMIXから14系「海峡」セットと銘打ったNゲージ製品が発売されるということで、発売に間に合わせるべく急いで執筆したため、手持ちの資料にも抜けがありそうです。見つけ次第後から追記するか、改めて記事を作成して補完する予定です。

今回掲載できなかった1997年以降の編成についても近く公開したいところです。特にドラえもんラッピングが開始される1998年以降は資料が格段に増えますので、色々なパターンを紹介できるのではないかと思います。

今回編成資料の公開を快く承諾くださいました、matuno kura様とSo What?様、商業誌への資料掲載情報を教えてくださったひろぽん様、またいつもTwitter等で情報をくださる皆さまにこの場を借りてお礼を申し上げます。

今回は急ぎで記事を作成したため、情報をいただいていたにも関わらず掲載していないということがあるかもしれません。もし「あの時連絡したアレは?」というようなことがありましたら、ぜひご一報ください。

他にも何かお手元に資料をお持ちの方、あるいは書籍等への掲載情報等ご存じの方がいらっしゃいましたら、コメントまたはTwitterなどへお知らせいただけますと、大変嬉しく存じます。

あまり網羅的な資料の存在しないマイナーな列車ではありますが、今回模型製品の発売があるなど注目されつつありますので、この機会にぜひ情報を共有してまいりたく存じます。皆さまのご協力を、よろしくお願いいたします。

*1:『鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』所収「14系寝台・座席客車の編成記録」(千代村資夫・秋元克広・平石大貴 著)

*2:『鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』所収「14系寝台・座席客車の編成記録」(千代村資夫・秋元克広・平石大貴 著)

*3:『鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車』所収「14系寝台・座席客車の編成記録」(千代村資夫・秋元克広・平石大貴 著)

*4:(非HD)「C62 3」の回送を札幌駅で待った - YouTube

*5:So What? ◆SoWhatIUjM on Twitter: "んで9月8日の秋田発急行はまなすの編成がHM付きED75 753+スハフ14 506+オハ14 513+オハネフ25 2+スハネフ14 552 コレは95年と記載された編成記録の後なのでその年で間違いないはずなのですけれども、人前で走らせたら何かがたくさん釣れそうな編成ですなあw"

*6:(非HD)思い出の海峡線のランナー - YouTube

【入線整備&軽整備】カルテット入り夢空間を組みたかった(その1)

今日の模型弄りです。

 

もう2年以上前になるでしょうか、このブログを始めた頃に入線し、カプラーの交換だけを行ったままの「夢空間」が当区に所属しています。

 

その時の記事:

 

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マイクロエース製で、夢空間3両の他開放ハネ4両とマニ24が入ったセットですが、これを使ってやってみたいことがありました。


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こちらは以前入線し、紹介だけ済ませて保管していたTOMIX「あさかぜ」基本セットです。

あさかぜ入線記:

 

今回はこの2セットを混ぜてしまいます。


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混ぜた結果がこちら。収納順も他の編成に合わせて電源車が一番下に来るように並び替えました。

夢空間」セットから開放ハネ2両を抜き、代わりに「あさかぜ」セットから3両を加えたものです。元のケースのままでは収まらなくなってしまったのでウレタンも入れ替えてあります。

 

こちら、1997年の「夢空間北斗星81号」の編成をもとに再現したもので、電源車以外はこの2つのセットの組み合わせで再現できるため好都合でした。

編成はこちらのサイトを参考にさせていただいています。毎度お馴染み客車倶楽部さんのアーカイブです。

「夢空間」編成例−客車倶楽部

 

「あさかぜ」セットから流用していることからも分かる通り、寝台特急「あさかぜ」が1往復に削減された際に余剰となった「カルテット」車と「デュエット・ミニロビー」車を夢空間編成に組み込んだもので、この時期よく見られた形態のようです。「あさかぜ」を基本セットのみ購入したのは、そういった理由からでありました。

 

どちらも購入後しばらく放置していましたが、今回重い腰を上げて整備することにしました。


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まずは夢空間の「顔」とも言うべきオシ25 901。車端部カプラーは暫定的にKATOカプラーに変えたままでしたが、これをボディマウント化してみます。


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床板の構造。TNカプラー対応の切り欠きがありますので、いつもの自作ボディマウント化も可能そうですが、車端ですからジャンパ栓表現も加えたいことを考えると、この作りだとTN用のジャンパ栓パーツは取り付けられなさそうです。


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そこで今回はこちらを使ってみることにしました。KATOのAssy、カヤ24用のカプラーセットです。


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このようにジャンパ栓(線)や連結器てこの表現があります。


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KATOのボディマウント製品ですからナックル化も簡単です。板バネが飛びがちなので気を使いますが、交換が済んでしまえば、当然ながら自作カプラーより安定感があります。

このボディマウントパーツの台座部分に飛び出している突起類を全てカッターで切除し、ゴム系接着剤で直接床板に取り付けてみることにしました。


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こうなりました。……なんだか不恰好ですね。

カプラーの高さを見てみると他社製品と揃った位置にあるのでこれ以上上げるわけにもいかなさそうです。マイクロエース車が腰高なんでしょうね。

対策は一旦保留として、今度は「あさかぜ」由来の車両を見てみます。


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「あさかぜ」用「デュエット・ミニロビー」車。夢空間編成には原則としてこの車両を2両組み込みます。「あさかぜ」時代は3両配置で1編成に1両ずつ組み込まれていました。セットにももちろん1両だけ入っているので、夢空間編成にするには1両足りません。私はオークションのバラし売りを活用して2両を確保しました。


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こちらは「カルテット」。普通の開放ハネとあまり見分けがつきません。

今回もTOMIX車にはいつものようにトイレ窓を裏からステッカーシールで埋めています。「夢空間」の方向幕はジオマトリックス製ステッカーを使用。

 

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カプラーも交換したのでいざ混結、TOMIX車とマイクロエース車を連結させてみました。

だいぶ車高に違いがあるようです。そもそも腰高なのに加えて、ボディも一回り大きいのでしょうか?

 

前回記事にしたリカラーさんでの運転会を控えていた(日付までは未定だった頃です)のでリカラーさんに持ち込む予定で整備していたのですが、少々不安になったので一旦地元のポポンデッタに持ち込んで試運転をしてみました。すると、TOMIX車とマイクロエース車の連結部分で見事に編成が走行分離することが判明しました。まあ、どう考えてもこの連結器高さの違いに起因するものでしょう。

 

インレタ等も未整備ですが、この問題が解決できなければ先に進まないので、一旦保留となりました。リカラーさんにも持ち込まず、再び「一休車」入りです。

 

ひとまず、今日はこれにて。

【入線報告】TOMIX 50系快速海峡をリカラーで走らせた話

今回は簡単な入線報告を。

 

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全青函ファン待望のTOMIX製快速海峡が発売になりました。出来は素晴らしいの一言に尽きますね。

51形やカーペットカーなどの発売を望む声もありますね。今後バリエーション展開した場合も、今回のセットは「増結セット」として機能すると思いますので、気になる人はまず買っておくと良いかと思います(^^)

 

さてかねてから予約してあった某模型店から海峡が着弾したその日は丁度、フォロワーの「えぬしら」さんと落合の「リカラー」さんで運転会の予定がありましたので、思いがけず海峡のお披露目会となりました。


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海峡を開封して、真っ先に連結したのはED79でもED76でもなく、EF65PF。同行のえぬしらさんから、撮影のためにお借りした機関車です。頭に「?」が浮かびそうな組み合わせですが、まだ青函トンネルが開業しておらずJRになってすらいない頃、国鉄の各地の工場で5000番代化改造を施された客車達は、本州の機関車によって配給輸送され、青森から青函連絡船の車両航送によって渡道したわけです。


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国鉄時代のことなので、JRマークがあるのはエラー。というわけでマークの写らないよう前から撮ってみましたが、なんの列車か分からなくなってしまいました。


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さてさて気を取り直しまして、海峡としてお披露目。

2セット購入したので12両ありましたが、2両ダミーカプラーなので使えず、とりあえず10両を使って開業当時の編成を再現してみました。

津軽海峡線は場所によって単線区間あり、高架区間ありの路線なので、どこで撮っても似合います。


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この時の牽引機には、買ったばかりのKATO製ED76 551を抜擢。こちらも買ったまま持ち込んだので、目立たないように後追いでのみ撮影しました。

TOMIXからも発売があるので、まもなく「ニセモノ」扱いされてしまうことになりそうな可哀想な子です。当区では何かしらの活用を検討しています。


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もう1本出してきました。こちらは以前弄った「まりもドリーム」入り14系海峡。


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開業当初の編成とまりもドリームとでは微妙に年代が一致しないので、こちらも前から撮って誤魔化してみました。

いや、厳密に言えばED79のHゴムの色とか何だとか……いいんです、こういうのは雰囲気で楽しめば良いのです。


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いつも客車の車端部は自作式のボディマウントに改造するのでちゃんと走るか不安なのですが、勾配のあるリカラー9・10番線で問題なく走行してくれました。

 

いろいろと持ち込みましたが、運転会はいつもうっかりおしゃべりに花を咲かせてしまうので、出さず終いの車両や撮らず終いの車両ばかりで帰ることになります。

店長さんも巻き込んで楽しくお喋りさせていただきました。えぬしらさん、リカラー店長さん、どうもありがとうございました。

 

ひとまず、今日はこれにて。

【机上研究】快速「海峡」の編成について(その10)

机上研究です。

 

まもなくTOMIXから50系5000番代車の発売があるということで、需要がありそうな開業初期の編成例をまとめました。当ブログ初出の編成もあります。

 

目次

はじめに

一昨年から不定期で、「快速海峡の編成について」と称して、かつて津軽海峡線で運行されていた快速「海峡」の編成考察を行っています。私自身は運行当時の乗車経験がないため、ネット上の記事や動画、雑誌や書籍等の資料をかき集めて、「当時の編成パターンを推測する」ということを行っております。

ここに掲載されている情報や私の考察は、誤りや勘違い等を多分に含む可能性がありますことをご承知いただき、よろしければ当記事シリーズ「その1」から順にお読みいただきますと、この快速「海峡」という列車についてよくおわかりいただけるかと存じます。

今回はTOMIX製品発売ということもありますので、できるだけ本記事(その10)のみで開業から1990年頃までの編成についておわかり頂けるように努めて執筆いたします。

 

おさらい

50系「快速海峡」編成を模型で再現する上で前提となる知識の確認です。当シリーズをよくお読みいただいている方は飛ばしていただいてかまいません。

 

使用車両

快速「海峡」はレッドトレインとも呼称された、国鉄50系客車をベースに快速「海峡」用の改造を施した50系50形5000番代、および追加改造にて用意された北海道用50系51形5000番代の両者を使用して組成される「50系編成」と、国鉄時代に道内急行用として本州向け14系座席車から改造された14系500番代車を使用して組成される「14系編成」の2種類に大別されます。今回はこのうち「50系編成」について取り扱います。

快速「海峡」は1988年3月の青函トンネル開通、及び津軽海峡線開業に伴って運転開始されました。開業当初の「海峡」用50系は、車掌室とトイレ設備を備えるオハフ50形16両と、中間車として使用するオハ50形15両の2車種のみ計31両にて運用されましたが、開業ブームにより当初の想定以上の利用があったことから、急遽道内用51形からオハ51形4両及びオハフ51形4両の計8両を追加改造しており、最終的に合わせて39両の布陣となりました。

その後、利用者が徐々に減少する中で需要喚起のためさまざまな取り組みがなされ、カーペットカー、カラオケカー、ドラえもんカーといった個性的な車両が改造によって登場しています。

この度TOMIXから発売される製品は通常のオハフ50形とオハ50形からなるセット構成になっているため、それら「変わり種」の含まない車両で組成できる、運転期間のうち前半(1988年3月~1997年3月頃)が再現できる年代になろうかと思います。

ただし、この期間中にも軽微な外見変化(自動販売機搭載に伴う一部車両の窓埋め)や、長編成になると高確率で51形車が混入するといった理由から、製品のまま再現できるのはさらに短い期間(1988年〜1991年頃)ということになります。

年代ごとの編成両数と車両形態の変化

このあたりの詳細は過去記事にて取り扱っていますので、そちらをご覧いただきたいと思います。

牽引機について

快速「海峡」運転開始当時、青函トンネルを通過可能な機関車は「ED79形」のみでした。後に改造によって「ED76形551号機」が追加されています。

ED79形には0番代・100番代・50番代が存在しますが、このうち快速「海峡」に使用されるのは0番代のみで、100番代・50番代は原則として貨物列車にしか使用されません。ただし、運用上の都合によって50番代車による代走事例があります。また、同様に運用上の都合から重連牽引となる場合があり、0番代と50番代の両車を連結した重連運用も事例として存在しているようです。

ED76形551号機は道内用500番代車を改造し青函トンネル通過可能としたもので、1機のみが配置されました。ED79形とは車体長が異なるため、停車駅での停止位置に特別の配慮をする必要があることから快速「海峡」への充当は敬遠されたとの説が一般的ですが、実際にはED76運用末期まで臨時「海峡」などを中心に快速「海峡」への充当事例が存在しています。

いずれの形式においても、使用されるパンタグラフは(不具合等があった場合を除いて)函館方のパンタグラフを使用するよう固定されていました。また、機関車の向きは原則方転することはなく、常に一定の向きで使用されていたことを補足しておきます。

組成パターンについて

快速「海峡」は客車列車のため、1両単位で細かく編成を組み替えることができます。「海峡」は特に繁忙期と閑散期の需要の差が激しかったこともあり、最長で12両の長編成を組むこともあれば、需要が低迷した年代の閑散期には最短3両の編成が確認されています。

「車端にオハフを連結する」以外の制約がない50系ですが、実際の編成例を見てみると多少の「パターン」が存在するようです。それを表わしたのが下の表です。

快速「海峡」編成の原則

つまり、函館方には「基本編成」とも呼ぶべき最小構成の編成が組める車両ユニット(年代により両数は変わります)があり、需要が多い時期や列車は青森方に適宜増結を行うといったパターンです。増結車両は主に函館側で連結・切離しを行って輸送量の調節を行っていました。

なおここで言う「基本編成」「増結編成(増結車)」という呼称は独自のものです。また、電車のように固定編成を組んでいたという意味ではないということを、念のため申し添えておきます。

快速「海峡」運転初期の編成

さて、お待たせしました。ここからが本題となります。

「海峡」の編成例については、過去に当シリーズ「その3」から「その5」にかけて紹介済みですが、記事公開後に確認できた資料を加えて、もう一度整理しなおしてみたいと思います。

1988年度の快速「海峡」

1988年3月13日に運転を開始した快速「海峡」ですが、当時の編成は、その後1989年度以降のものと比較すると、いくつかの点で異なっています。

1988年度の編成の特徴

・基本編成は5両(89年度から90年度まで7両)

・増結時は最長11両(89年度から12両)

・青森方が1号車(89年度から逆転)

・海底駅見学車両は青森方「増」号車

この点を踏まえて、編成例を見ていきましょう。

1988年3月13日 開業一番列車(海峡1・2号)

【凡例】オレンジ色で示したものがオハフ50、灰色がオハ50です。「指」とは指定席車を示します。編成は左側を函館、右側を青森として統一しています。車両の上の数字は号車番号です。

【図1】出典:『鉄道ファン』1988年6月号(通巻326号)p.62*1

こちらは鉄道ファン誌に掲載された、青函トンネル開業初日の編成です。「ひろぽん」様より情報をいただきました。ひろぽん様、ありがとうございます。

さて図1-1は初日の「海峡1号」の編成で、この日に開業した青函トンネルを旅客列車として最初に運転される「下り1番列車」で、参照元の記事には運輸大臣を招いての盛大な出発式が執り行われたことが記されています。この編成は早朝に函館から送り込まれたもので、その送り込み編成には送り込み手順上の都合からED79三重連で運転されたそうです。

さて、この「海峡1号」の編成は、私が手元に控えている資料の中では他に例を見ない、独特の編成が組まれています。セオリー通り解釈するとなれば、函館方10~4号車の7両が基本編成、3~1号車の3両が増結車となるところですが、1988年の基本編成は所定5両となっていますので、辻褄が合わなくなってしまいます。

初日ということもありますので、何らかの運用上の都合があってこのような編成を組んだということなのでしょうか。とても気になるところです。

図1-2は同日函館発の上り「海峡2号」。こちらは「海峡」より先行して特急の「はつかり10号」が設定されているため、「上り1番列車」ではありません。1号と同様に10両編成での運転ですが、1号では8号車にオハフが連結されているのに対し、2号では6号車となっているなど、微妙な相違があります。この編成だけれ見れば、函館方10~6号車の5両を基本編成と見なすことができますが、前述の1号と並べてみると、やはり4号車までを含めた7両が基本編成であったと解釈するのが妥当なのかもしれません。

ちなみに、この時点での50系運用は4運用存在し、かつ51形からの改造車は登場していない時期になるので、使用可能な車両は31両しかありません。おそらく、1運用は別形式での代走として、3運用をそれぞれ10両ずつの編成で運用したのではないでしょうか。

 

1988年7月 海峡12号

【図2】出典:ブログ「つばめバス資料倉庫*2」様

過去に2度も引用させていただいている資料で、7月23日の「海峡12号」の編成が車番から記録されています。

1988年に運転可能な最長11両の編成が組成されており、このうち函館方11~7号車の5両が基本編成、青森方6~1号車が増結車とみて良いでしょう。

特筆すべきはやはり目を引く非冷房車の存在です。オハ51形からの暫定改造車で、塗装こそ揃えられたものの、車内は非冷房・ボックスシートのままで窓まで開くという、普通列車用「レッドトレイン」時代の装備のまま運用されています。このオハ51形の連結位置についての考察は、編成例をもう1例見てから行うことにします。

今回TOMIXから発売された車両は50形冷房車のみですので、もちろん製品のままこの通りの編成を組むことはできませんが、非冷房車がこの位置に固定運用されていたわけではないと考えていますので、通常のオハ50形で代用しても問題ないでしょう。

 

1988年8月 海峡7・8号

【図3】出典:車内放送録音(matuno kura様提供)

当ブログのこの海峡シリーズの記事では、編成内容の特定のためYouTube動画を大いに参考にさせていただいていますが、中でもmatuno kura様という方の投稿動画は質・量ともに素晴らしい資料として毎度参考にさせていただいており、当シリーズの「その3」「その4」などをご覧頂くと、出典欄にこの方の動画ばかりが列挙されているのがおわかり頂けます。

そんなmatuno kura様ですが、今回個人的に連絡を取らせていただいたところ、ご自身が撮影し保存されている膨大な撮影データから、「海峡」はまなす」関連のものを抜き出してお送りくださいました。YouTubeの画質からは判断できなかった部分が明らかになることが機待でき、大変ありがたいところです。

その頂いたデータの中に、1988年に乗車された際の車内放送を録音したものがありましたので、いつもの編成表の形式にして公開させていただきます。

前置きが長くなってしまいました。図3-1は1988年8月10日の「海峡7号」の放送から聞き取りによるもので、図2と同様に当時最長の11両編成が組成されており、オハフの位置も完全に揃っています。図2と指定席車の位置が異なる程度です。

個人的に重要視しているのは図3-2で、こちらは1988年8月17日の「海峡8号」です。放送内容から5号車には青函トンネル内で動作する位置表示器が装備されていないことがわかりましたので、5号車が非冷房車だろうと推測できます。もしかしたら図3-1にも非冷房車が連結されているかもしれませんが、放送からは判断できませんでした。

さて、図2と図3-2を見比べていただくと、どちらもほとんど同一の組成ですが、非冷房車が図2では6号車に、図3-2では5号車に連結されているという違いがあります。

非冷房車を編成に組み込むにあたって、もちろんシステム上はどの位置に組み込んでも問題ないのですが、おそらく指定席車に充当される個所には極力冷房車を連結したはずですし、また編成が短い時(運用車両数に余裕がある時)には極力非冷房車を運用しないように考えていたと推測できます。すると、指定席車に指定されやすい編成両端部を避けた、増結編成の函館側に連結するのが自然な流れではないでしょうか。

となれば、「非冷房車を連結可能な位置」というのが11両編成時の5・6号車あたりに設定されていて、その時の車両運用次第でその位置に非冷房車だったり冷房車だったりがランダムで入る……そんな運用が想像できます。

そして傍証となる編成を、読者の方からご提供いただけました。

1988年8月 海峡83号

【図4】出典:乗車記録(R-14様ご提供)

当シリーズ「その3」へのコメントで情報をいただきました。1988年8月9日乗車で、号数不明とのことでしたが運転時刻が明記されていましたので号数が特定できました。函館で札幌行き快速「ミッドナイト」に接続する臨時列車の「海峡83号」と思われます。臨時列車ではありますが、運転時刻から推測するに、運用としては定期「海峡14号」の折返し列車であったと考えられます。

この編成で特筆すべきは、まず非冷房車2両組み込みの11両編成で、しかも5・6号車に連結されていること、そして3号車がオハ車であることです。

もちろん誤記の可能性が無いとは申しませんが、青森方の増結車にオハが5両連続という他の記録に例を見ない編成をしています。中間がオハであろうとオハフであろうと特に関係なかったことが窺えるのではないかと思います。

1989年度の快速「海峡」

前述したように、1989年3月改正から「海峡」の編成ルールが大きく変更されています。

1989年度(以降)の編成の特徴

・基本編成が7両に増加(91年3月?まで)

・最長12両編成が組成可能に

・函館方が1号車(車両自体の向きに変更はなし)

・海底駅見学車両は下り1号車・上り12号車に固定

このルールをもとに編成を見ていきましょう。 

1989年12月~90年1月 海峡7・8号

【図5】出典:YouTube動画*3

同じくmatuno kura様の動画から。YouTubeに上げられているものになります。図5-1は1989年12月30日の「海峡7号」、図5-2は1990年1月7日の「海峡8号」です。

前述のように基本編成が7両に変更されておりますので、函館方1~7号車の7両が基本編成、青森方8~10(または12)号車の3両が増結車ということになろうかと思います。

この頃は51形からの改造車のうち、オハ51形は4両全車が改造を終えており、オハフ51形4両の改造が進められていた頃です。Wikipediaからオハフ51形の改造日を拝見すると、この編成の記録日である12月30日の時点でオハフ51形は3両目まで落成していたようです。冷房化(5000番代化)が完了すれば50形と区別なく使用することができますので、この編成中にも数両程度連結されていたかもしれません。

この時点で運用可能な車両は50系全体で39両ほど*4です。「海峡」50系運用である4運用すべてを10両編成で運行しようとすると40両必要になってしまいますが、利用の少ない列車を7~9両で運転可能であれば、他形式での代走を行うことなく全運用を50系で賄うことができます。

1989年8月 海峡4号

【図6】出典:YouTube動画*5

こちらは別の方の動画から、1989年8月某日の「海峡4号」の車内放送の聞き取りから編成表に起こしたもので、最長12両編成が組成されています。やはり7号車までが基本編成で、8号車以降が増結車でしょう。

度々書いていることですが、この編成のように青森方にオハフが2~3両連続するパターンをよく見かけます。途中駅のドア扱いの都合なのか、増解結の関係なのかはわかりませんが、模型編成を組む際にぜひ意識したいポイントの1つです。

おわりに

今回はNゲージユーザー待望のTOMIX製快速海峡発売ということで、初期の編成例をまとめてみました。以前に記事を公開した際は、開業当初のこの時期の編成資料が少なく考察と呼べるものは何もできなかったのですが、その後皆さまのご協力によりある程度の数を並べて比較することができました。この場を借りてお礼申し上げます。

発売されたTOMIX製品を2セット使って初期の編成を再現されたいという方は、よろしけれご参考にしていただけますと幸いです。図中の非冷房車の部分は、冷房車に差し替えて運用しても問題ないと思います。

1990年以降の編成に興味のある方は、当シリーズ「その3」から順にお読みいただけますと、多少おわかりいただけるのではないかと存じます。

これらのような編成記録をはじめ、快速「海峡」の資料は今後も収集してまいりますので、お手元に資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントやTwitterなどでお知らせいただけますと幸いです。

 

 

追記:そろそろ14系の編成をまとめねばと思ってます。TOMIXから出る前に……

*1:「63.3.13移り変わりのすべて 青函連絡船青函トンネル」伊藤久已著

*2:民営化当初の優等列車等編成記録(12)快速「海峡12号」: つばめバス資料倉庫

*3:図4-1:(SD)海峡7号右窓車窓 - YouTube

図4-2:(非HD)函館駅と快速「海峡号」車内アナウンス - YouTube

*4:オハフ51 5004の落成は1990年1月26日とあるので、この1両のみ非冷房車であったか、もしくは改造入場中であったと推測できます。

*5:【車内放送】快速海峡4号(50系 旧式ハイケンス 函館発車後~青函トンネル案内) - YouTube

【入線整備】ついに出た地元車 鉄コレ「横浜市営グリーンライン」

今日の模型弄りです。

 

突然ですが、ブログ名に「新綱島」とあります。実際のところ最寄駅が建設中の新綱島駅というわけではないのですが、地域としては「そのあたり」が地元です。

 

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今回、鉄道コレクションから「横浜市営地下鉄10000形」が製品化されました。たかだか10駅足らず、地元民しか使う用のないこの路線の車両が、まさか製品化されるとは思ってもいませんでしたので、製品化発表時には非常に驚きました。


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低床の鉄輪式リニアということで車体が他のラインナップと大幅に異なります。なので動力化パーツなどはいつもの別売式ではなく、全て車両とパッケージされた専用セットです。


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T車は既に金属車輪を履いており、M車はトレーラー台枠すらなく、車体だけが付属しています。

本来ディスプレイモデルで走行化はあくまでおまけだったはずの鉄道コレクション、いったいこれはどういうことでしょう。


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天邪鬼なので説明書通りに組みません。カプラーはジャンパ付きKATOカプラーに交換しました。


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ですが、これではあまりにも連結面間隔が開いてしまいそうです。


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こんなものを出してきました。

DMM.makeで頒布されている3Dパーツ。永井上石神井車輌工場さんのカプラーポケットです。

鉄コレにKATOカプラーを取り付けるのに重宝します。

 

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さまざまなサイズのカプラーポケットが付属していますが、ここでは一番短いものを使いました。


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ちなみに長さの比較です。上から順に、デフォルトで取り付けられているアーノルドカプラー、走行化パーツとして付属しているアーノルドカプラー、それをKATOカプラーに交換したもの、そして3Dパーツを使用したものです。


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製品デフォルトの状態と比較して、このくらい縮まります。


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車輪は金属車輪が元から付いていますが、何故か間隔が妙に狭くなっていて、製品状態だと脱線しやすいようです。

わかりづらいですが、このように車輪を両側に引っ張ります(右が引っ張って間隔を広げた後のものです)。台車に付けたままで出来ました。

 

さて、これで走行化が完成したのですが、走らせてみると問題が発生しました。

続きはまたいずれ、改善したところで。

次回はまた別の車両の話になると思います。

 

ひとまず、今日はこれにて。